コロナと監査と

2020年4月24日 | By 縄田 直治 | Filed in: 不正.

年明け以来、世の中が新型コロナ感染症の話題ばかりで、それが日常的になっている感覚を持つ自分の状況にやや恐怖心があります。その渦中で 新しく知った言葉「PCR検査」という単語がニュースなどでよく聞かれるようになりました。鼻から綿棒を挿して粘膜に付着しているコロナウィルスを取り出し、培養して感染をチェックする検査方式のようです。

SNSなどの書き込みを見ていると、コロナのPCR検査に対する考え方は、「いたずらに検査数を増やすべきではない」という慎重派と、「すぐにでも全数検査すべきだ」という積極派の考え方が対立しています。 傾向としては慎重派は医学関係者などの専門家の立場に近い方々から出ていますが、積極派はその他一般(あくまで印象ですが)という様相を呈しています。「さっさと検査して感染者を見つけて隔離しろ」、あるいは「自分が感染していないことを証明して堂々と外に出たい」、という立場なのかもしれません。

日本の行政サイドは慎重派であり、国によってはいわゆるドライブスルー検査などを導入して検査数を増やしているような報道もあるので、日本への政治批判と絡めた書き込みも多く見られます。「検査が増やせないのは行政の怠慢だ」とか、「感染が見つかると隔離する病院が不足するからあえて抑えているのだ」とか、新橋駅前広場のアジ演説みたいなものです。

もちろん、危機管理体制や医療体制がいまのままで良いというつもりはありませんが、こういうときにこそ求められるのは、冷静な状況認識と現実的対応です。そもそも外国が攻めてきても武器や軍隊は持つべきではないという議論が日頃からある国ですから、有事法制などできる環境ではありません。法律で外出を禁止するような世界では、警察や軍隊が銃を持って市中を巡回し違反者は捕縛される世界です。買い物は許可証が必要です。それが法で外出を禁止するということですが、そのような世の中は誰も望んでいないでしょう。今の状況は、これまでの日本人が作ってきた一つの形であり、この状態を未来(次回のコロナ流行も含め色々)に活かすべくどう変えていくかについては、また議論すればいいのですが、「言霊が支配する国」ですから、さてどうなるでしょうか・・・。

私は暇なのをいいことに、統計学の勉強を続けています。特に最近話題のベイズ理論は人工知能関連では色々な分野で応用可能性が高く、監査もその例外ではありません。それがどう関係するのかということですが、ちょうど上の議論について気になっていることを解説した記事がありましたので紹介します。

The SPELL blog: 新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のPCR検査の意義をEBM的思考で考える http://spell.umin.jp/thespellblog/?p=235

PCR検査についてのこのブロガーの意見は、

胸部X線やより感度の高い胸部CTで肺炎が証明された後に SARS-CoV-2 PCR検査を行うという順番にするべきである

ということなんです。なぜなら、PCR検査結果は絶対的なものではないので、その検査結果で陰性が出てもなお感染している人がいるので安心できず、そう言う人たちが知らず知らず感染を広めてしまうリスクがあるから。

そもそも肺炎はかからないに越したことはありませんが、風邪をこじらせたり、老人の誤嚥性肺炎などでよくある病気です。CT検査すれば肺の病巣部が真っ白に映るので、素人でもCT画像を見れば「肺がおかしい」ことはすぐにわかります。医師は他の症状やこれまでの経過、変な咳、血中の酸素量、聴診器の呼吸音などなどのエビデンスを集めながら肺炎という診断をつけます。

しかし肺炎は種類については確定的な診断が難しいそうです。そもそも大きくはウィルス性の肺炎と細菌性の肺炎とがあり、その中間型のマイコプラズマ肺炎があり、ウィルス性のコロナ肺炎でも新型コロナではなく従来からある季節性コロナ肺炎があります。一言で肺炎と言っても、その種類によって症状の出方や薬の効き方などが違うので、治療方針が大きく変わってくるようですね。

なので、この肺炎が「新型コロナ」かどうかについて確定的に診断するには、素人目にも肺炎であることと、新型コロナ肺炎ウィスルに感染しているかどうかでチェックすることになることはわかります。そのために、検体を採って加熱増殖させてウィスルを検出するのがPCR検査です。問題はこのPCR検査が必ずしも性能が高くないということについての理解に端を発しているようです。

一般に検査の性能は、統計の教科書などによると「感度」と「特異度」という指標で表されます。感度とは、感染者のうち感染しているという結果を出すことができる能力で検出力とも言います。特異度は、非感染者を非感染者と判定する能力です。感度と特異度はトレードオフの関係にあり、感度を上げようとすると非感染の人を感染としてしまう率が高まり、逆に特異度を上げようとすると、感染している人を見逃す率が高まります。

現在のPCR検査の感度では、完全に感染者を網羅することができない(つまり取りこぼしがある)ということなので、感染していても検査で陰性であった人が街ナカを堂々と歩き回るリスクが否定しきれないのです。「疑いのない人に対する」検査数を増やせば増やすほど、安心して街ナカを歩く人が増えてしまうという大きな問題があるのです。しかも、新型コロナウィルスのPCR検査の感度については学術的なデータがまだないそうで、感度自体の想定にも幅があるようですが、そういう状態ではじめから高い感度を期待するのは楽観的すぎることは素人でもわかるでしょう。

さて、ここからが監査とPCR検査との接点です。

監査は不正リスクをとても重視します。不正の対応に簡易な監査手続では不正を見逃してしまいます。不正の疑いがあれば徹底的にツッコミを入れるのが原則ですので、不正対応の手続はそれだけエネルギーを使いますから、慎重かつ重点的に対応する必要があります。一方で不正がないこと(ネガティブチェック)のために重い手続を適用するとリソース破綻を起こします。つまり不正リスクをきちんと想定した上でより可能性の高いところにリソースを優先配分するというリスクアプローチを正当化する論拠がここにあるのです。

PCR検査に過信は禁物であり,検査は少しでも疑えば行うというのではなく,症状や経過,状況などを総合的に鑑みて事前確率を高めてから行うべき

というこのブロガーの見解は、監査でも同様に「一網打尽な手続(つまりランダムサンプリングなど)はいたずらに手続の量を増やすだけだから、問題アリそうな取引を条件で絞り込んでから監査手続に入り、徹底的に見ろ」とはよく言われることです。つまり、経験の浅い監査人が、「たくさん見る」ことで一生懸命仕事をしたと勘違いするのを戒めるのです。

また監査人はよく「懐疑心を高めよ」という言い方をされます。これを単なる期待論、精神論で済ませないためには、統計的な意味での感度を上げるようにしなければなりません。不正に対する「手続の感度」を上げるために、監査人として(ベイズ理論で言うところの)事前確率を評価できるようになることが大事なことを、コロナ検査の議論は教えてくれているのです。

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