ウィルスがもたらした改革

2020年6月22日 | By 縄田 直治 | Filed in: 組織改革.

ここ数年の間、企業では働き方改革と称して、残業時間などの過重労働を減らそうと色々な努力を続けてきましたが、色々な壁にぶつかって思うようにいってませんでした。しかし2019年末に中国が新型のコロナウィスル感染症肺炎を発表してから、世の中は大きく変わってしまいました。

新型コロナウィスルは感染力が強いのですが、感染しても必ずしも発症するわけではなく、また感染してからの発症までの潜伏期間が二週間程度あるとされ、発症しても重症化(人工呼吸器を装着など)するまでにいく人は、他に病気がある人や高齢者がほとんどで、健康な状態を保っている人は風邪を引いた程度の症状で済むことが多いようです。

しかし、このウィスルの性質が厄介なのは、ウィルスの感染者は自覚症状がないため他者と接触することで知らないうちにウィルスを拡散させてしまい、日常生活の中で感染経路がわからないまま感染し、重症化する人を増やしていくことでしょう。DDoS攻撃を仕掛けるコンピュータウィルスの性質とそっくりです。

そのため、世界各国で都市封鎖の措置がとられ、日本では政府が緊急事態宣言を発出して、感染の原因行動とされるいわゆる濃厚接触を避けるために三密(密集・密閉・密接)な状態にならないよう、国民に外出の自粛を、組織には行事の中止や店舗の営業停止が求められました。2020東京五輪もこれにより一年延期されたことは象徴的でしょう。

オフィスでは

これによって、在宅ワークが急速に普及することになりました。日本では情報技術を活用した働き方改革が遅れているという認識でしたが、実は各家庭ではモバイル回線を含むブロードバンド回線が整備され、仕事ができるパソコンが自宅にあり(職場から持って帰ったり)、データ環境も共有のファイルサーバを使ったり仮想デスクトップ環境を使うことで、単なる作業は自宅でもできることが判明しました。さらに、これまで専用回線で使われていたテレビ会議に置き換わるようなインタネットを使った会議システムも、無料で使えるという粋なはからいで一気に普及しました。

物理的に作業が必要な工場での生産活動や、物流などの運搬と違って、オフィスワークの実態は基本的には「情報処理」だと言われます。その情報とは活動記録であったり約束事であったり意思決定の記録であったりするわけですが、その情報処理のボトルネックが物理的な紙であったことがわかりました。紙を使う典型として契約がありますが、押印などは本来は意思表示の証拠化という情報処理に過ぎないのですが物理的な紙があることを前提とした仕組みなので、この仕組みに拘泥している商慣習を見直さざるを得なかった会社もたくさんあったのではないでしょうか。中には緊急事態宣言中も幾日かの出社を余儀なくされるという馬鹿げた話も新聞等で目にしました。

そしてもう一つのボトルネックだった労働基準法は、上司の目の届くところで部下の仕事を監視していなければならないという考え方が支配していました。工場の生産工程でさえセンサーなどの機械で管理している時代に、目の前の机の島にいなければ管理監督できないというのは、やはり現状追認の圧力が強かったということでしょうね。

行政は

紙の上での情報処理の典型と言えば行政です。「文書主義」という言葉があるくらいですから。緊急事態宣言による経済損失を少しでも補うために特別給付金が各家庭に給付されることになりました。行政手続と言えば「紙の資料を揃えて役所に来い」という大いなる原則があります。私は前々から、こちらが支払う立場の納税手続でさえ税務署に行かねばならない上に日曜日には閉鎖しているという点に大いなる疑問を抱いてきましたが、今回は流石に役所も音を上げたでしょう。全世帯に一斉に現金給付ということはこれまでの歴史にはありませんでしたから。

私はたまたまマイナンバーカードで税務申告(暗証番号を忘れて市役所にリセットに行くなど大変でしたが)をしていたので、今回の給付金の手続もスマホで処理しましたが、どうもその申請データは自動処理されるものではなく、役所の受付で紙に印刷して内容を人が審査して支払い手続に回されていたようです。つまり押印文書の代わりにオンラインで文書を作成するシステムとしてマイナンバーカードが使われていることがわかりました。手続からおよそ二週間で支払い通知もなく振り込まれましたが、これでも早い給付のようです。

行政手続も本来の住民サービスではなく情報処理のためにたくさんの人を雇っているとなると本来意図されている税金の使徒が間違っているわけですし、まして人がたくさんいるから早く処理が終わるということではなく、人が処理するから時間がかかるというのは本末転倒です。行政サービスはその目的を正当化するのは議会の立法や予算ですが、目的が正しければ手段も自ずと正しいという誤った考え方が露呈してしまいました。

本来の行政サービスとは住民の住所地にて執行されることが原則です。つまり公務員は各住民を訪ねてサービスを提供します。これは介護福祉などに限ったことではありません。ただ、余計な税金をかけないために情報技術を使って手続を楽にしたり省力化することは納得感がありますし、住民の理解や協力を得ることもできるでしょう。役所の建物はサービスの拠点であり、「やむを得ずお越しください」というスタンスを原則に考えて、事務処理の見直しをはかる良い機会にしてもらいたいものです。

医療では

ついで問題になったのが医療です。ウィルス感染の虞があるので病院に来るなという本来の医療機関の役割を忘れた対応は、医療崩壊を防ぐためとはいえ医療関係者としても不本意だったことでしょう。しかし、医療相談や持病のある人の薬の処方など、あえて対面でやっていた人たちが急にオンラインで対応できるようになったため、病気が流行って病院から人が減るというのはなんとも皮肉です。対面という形にこだわっているのは、かつての化粧品が再販売価格維持の対象から外される時の議論でもありました。つまり人が肌につけるものなのできちんとした使用法の指導が必要という理屈です。いつも飲む薬を入手するためにわざわざ病院にいき処方箋をもらい、それを持って薬局に行き服薬指導を受けて薬を入手する・・・制度の趣旨はわかりますが、これも目的のために手段を正当化している典型例です。もっと言えば具合の悪い人に病院に来いという発想ではなく、(本当に)具合の悪い人こそ医療関係者が訪問して対応することを原則とするような医療態勢が必要なのではないでしょうか。

教育

学校も春休みがあったとはいえ、卒業式や入学式が中止され、4月半ばを過ぎても登校はできないため、オンライン授業が余儀なくされました。先生たちは春休みが準備期間として使えたのはむしろ幸いだったかもしれません。その間、進学塾などがコンテンツを提供してくれたのでそれで勉強した子どもたちもいることでしょう。教室で数十人集まって先生が黒板の前で一方的に話す授業の方法は明治時代に確立されて普及し150年近い歴史があります。しかし、これも新しい情報技術がない時代とある時代とでは、やはり見直されるべきでした。つまり、学校が唯一の学びを提供できる場であった時代と、塾がありオンライン教室がありたくさんの学習教材が販売されている時代とは、学校の役割が違ったものであるはずです。

セキュリティに厳密な学校のシステムはオンライン授業には向かないとか、端末が行き渡っていないから不平等だとかいろいろな議論があったようですが、それは既に解決していなければならなかった問題です。「出来ないことをあれこれ言う前に、どうすればできるのか、何ができるのかを考えよう」という広島県の教育長の呼びかけは的を射たものでした。小学校の試験など教科書会社の作ったドリルやテスト問題など外部リソースをたくさん使っているので、たとえば進学塾が作ったオンラインコンテンツを生徒が使って学ぶことがあっても、まったく構わないはずです。むしろ学校の役割は特に義務教育においては落ちこぼれを産まないことが最も大事なことですから、そういう機会を得られる生徒にはどんどん先に勉強してもらって、生徒の勉強の進み具合に応じて遅れている生徒には個別指導する絶好の機会が生み出されました。また具合が悪くて学校に行けない子供でもオンラインなら出席できる機会が与えられました。

オフィス、労務、行政、医療、教育。これまでずっと言われ続けていた古い体質がそのまま問題として噴出しました。共通しているのは「出頭」「紙面」「対面」を当然視した旧来の場所と方法へのこだわりです。背景には情報リテラシの低さもありますが、それを含めた現状を是とする環境(これには住民など我々サイドの姿勢も含まれます)です。この先、どのように変革していくかは、その影響が国民生活に重要な位置づけを占めるだけに、我々はきちんと見ていく必要があります。

変革の方法は難しくありません。既にあるものを使えるようにすればいいだけです。つまり、いま目の前にある課題を変えようとすると色々な柵(しがらみ)があるので、新しいことをする人を邪魔しないことです。クラウドの中に会社、取引先、病院、薬局、学校があってもいいじゃないかと考えることです。そして、それを積極的に認め使っていくことが今の時代に生きる我々には求められています。

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