組織の失敗学

2013年9月16日 | By 縄田 直治 | Filed in: ブックレビュー, 不正.
組織の失敗学 (中災防新書)
樋口 晴彦
中央労働災害防止協会

縁あって著者の講演を拝聴する機会があり、その足で書店に行って購入したもの。

危機管理の要諦は、危機が現実に起こることを具体的に想定することと、自己あるいは他者を問わず事例から学び、一般的知見として昇華することである。この考え方を実践したのが日本軍の大東亜戦争における重畳的判断の失敗問題を組織の問題として捉えようとした「失敗の本質」などがその代表であろう。

本書の基本姿勢はそこに連ねられる。主として会社組織による色々な事故事例を著者の経験を踏まえて解説している。この手の議論で難しいのは、「失敗事例」から学ぶときに「失敗」が予めどう定義されているかということによって、実は答えが決まってしまうことがある点だろう。組織にとっては持続的成長を阻害する事象が失敗ということになるのか、阻害事象から学べないことが失敗なのか、あるいは学べない組織運営をしていることが失敗なのかは、失敗の捉え方を明確に整理しておきたい事項である。新書版としての制約からかそのまでの踏み込みはないのは残念だが、紹介されている事例の豊富さと洞察から得られるものが、それを補って余りある。

監査の失敗は、誤った意見を表明してしまうことであることは、明らかである。そういう意味で、我々監査人は過去の失敗事例から学ばねばならない。航空機事故が色々な教訓を残し、犠牲者を「追悼」することによって、各立場の初心を確認することが大切なように、我々にも過去の大きな事件を再確認して内部化する「儀式」の必要性を強く認識する。まして、失敗と定義されているのは事件となったものだけである。「発見できない不正」はまさに潜在的失敗であり、偶々発見された不正から学ぶことで潜在的失敗に気づかせれば「ヒヤリハット」の共有も可能なのだ。

今後、監査事務所はこれら失敗事例から学ぶサイクルをどのように組織の行動知として内製化できるかどうかが、将来性の分かれ道だろう。監査事務所の事故は原発事故のように一旦発生すれば収拾がつかない大きなものになるわけである。法的には正当な注意を払うというプロセスで判断されるが、社会的には不正の発見ができなかったという結果だけで、そもそもの存在意義が問われかねないようになってしまった。

講演後に最も印象に残っている著者の言葉は、「上司は暇だから部下を指導できる」という言葉だった。率先垂範を意識し過ぎバタバタとしても「お忙しそうですね」と言われるのは、話しにくいということを意味している。ある経験的手順にしたがって進められるところまでいけば、あとは現場に任せて「暇になること」を意図する意味は、自分がむやみにバタバタして仕事の報告や相談が来なくなったりした時の教訓として肝に命じておきたい。

 

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