失敗まんだら

2013年10月6日 | By 縄田 直治 | Filed in: 不正, 監査と監査人, 組織力.

「まんだら」(漢字では、曼荼羅)とはおそらく梵語だと思われるが、仏教で仏様が中心にいて悟りを示した図とされているが、今風に(即物的であることを覚悟して)言えば、仏教思想のポンチ絵である。最も有名なのは聖徳太子の天寿国曼荼羅繍帳が国宝として知られている。

失敗まんだらとは、創案者の畑村洋太郎氏が提唱する「失敗のモデル化」様式であり、失敗を構造的に整理し伝承することを目的としたもので、様式がオリジナルの曼荼羅に似ていることからそう名付けられたようだ。

http://www.sozogaku.com/fkd/inf/mandara.html

畑村氏は「失敗学」の提唱者でもあり、エンジニアとして過去の事故事例を学びいかに対策していくかということを研究された成果として、失敗データベースを作られている。残念ながら、その事例は製造・生産など物品やラインにかかる事例・事故が多く、組織事務の失敗についてはあまり多くない。

私はかねてよりこの失敗まんだらを「監査の失敗」の知識構築に活用できないものだろうかと考えている。というより、直ぐにでも活用し始めるべきであると主張したい。

一般に監査の失敗とは、粉飾事件が表沙汰になった際に語られることが多いが、本質的には監査人が判断を誤って監査意見を表明してしまうことを意味している。粉飾事件は失敗の一つの具現化にすぎない。すなわち、表に出ないしだれも気がついていないところにも、監査の失敗はあるはずで、昨今言われる「不正」が隠蔽されている状態が典型例に当たる。換言すれば、1年後に見つかるはずの失敗(粉飾)は今既に失敗(不正に気づかない)している可能性だってあるということだ。

失敗学が主として扱っている製造ラインにおける事故、品質不良問題、原子力発電所の事故や航空機事故のような人命に大きく関わる事故などと、粉飾や会計監査とは事故の性質が異なるという意見もある。ただ、失敗から学び理解し継承するという目的からすれば、その失敗の性質が、(1)発生の件数は低いものの一旦発生すればその影響が計り知れないこと、(2)ゆえに、どうすれば失敗するかを「実験」できないし、学べる「実例」が少ないこと、(3)個人だけでは解決・対応できずそれを担う組織も含めて臨むべきこと、などの共通点があることから、学び伝承する手段として「まんだら」が使えるのではないかと考えるのである。

監査の失敗でよく言われる原因として「職業的懐疑心の欠如」がある。リスク感覚の欠如と言ってもいい。リスク感覚とは監査対象に対して起こりうるネガティブ事象(不正や誤謬)を合理的に推定し影響を想定する力である。リスク感覚は公認会計士試験に合格したその日に身につくものではない。かつては現場で学び、先輩から盗み教わるものだった。いまでもその要素は否定できないが、監査対象が大規模化し監査の組織化が進んだ現在では、やはり組織的対応として個々の監査人にこのリスク感覚を備えてもらうようにする要素のほうが大きいだろう。

残念なことに、情報(財務虚偽や機密漏洩など)に関する事件が起こると、「チェック体制の不備」が原因とされ「その充実を図る」という対応がテンプレートのようになっている。監査で言えば「職業的懐疑心の欠如」にすべて起因することになる。現場の不注意、監督者の指導不足、組織の管理不足・・・・はある種、原因を究明するためのテンプレート足りうるが、元々そういう骨組みで物事を捉えているという意味でパラダイムに支配されており、説明因子とするにはいかがなものか。「利益至上主義」などもその一つかもしれない。

会計不正事案があると、監査人が正当な注意を払って手続を遂行していたかどうかという責任問題として色々な側面から調べられる。「責任」という言葉が出た瞬間に、人に起因されることを意図されるが、私自身それ自体の必要性を否定するつもりは毛頭もない。が、仮に監査人の行動や判断に原因を求めるとすれば、失敗学の観点からは「人がなぜその行動・判断をとったか」「組織はなぜそれを許容したか、あるいは認知できなかったのか」「どういう対処手段があったのか」「その対処手段はなぜ採られなかったのか」「対処し得ない環境因子はなにか」という別の要因も考慮しうるはずである。

外部からは分かりにくい業態であるだけに、「失敗まんだら」のような方法論を用いて、個別事案から学んで内部で伝承していかなければ、学習という意味において知識の宝庫であるせっかくの失敗事例がただの「過去事例」となってしまいかねない。一方で、それを知識として継承することは、監査リスクを考える方法論の継承にもなるし、他人の経験から学んで事故を防止するということにも繋がり、結果的には人材が育成され、業務の改善やサービスの向上ももたらすだろう。これは医者という専門職能領域とそれを支える病院という組織の関係と考えれば、医療事故などにおいても言えるのではないだろうか。

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