不正会計 早期発見の視点と実務対応

2012年10月1日 | By 縄田 直治 | Filed in: ブックレビュー, 不正, 開示制度.
不正会計―早期発見の視点と実務対応
不正会計―早期発見の視点と実務対応

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宇澤 亜弓
清文社

本書は公認会計士そして広く会計や監査の実務に携わる者には必読書の一つとなろう。

企業会計審議会第29回監査部会(平成24年9月25日)で「不正に対応した監査の基準の考え方(案)」が出されているが、ここでの議論と本書での議論はかなり似通ったところがある。ある意味では、種本になっていると言ってもよいかもしれない。もっともそれを示唆するのが、「不正の端緒」という言葉である。「不正の端緒」とは、著者によれば、

不正会計の兆候となる事象であり、不正会計が行われているかもしれないという合理的な疑義を呈する事実や情報等である。このような事実や情報をいかに把握するかということが、不正会計の発見において重要となる。(p62-63)

とされている。

企業会計審議会では、「不正リスクに関連する用語の説明」において、不正の端緒を示す状況として、

監査人が監査実施の過程で識別した、財務諸表に不正による重要な虚偽の表示をもたらす可能性が示唆されている状況

となっている。そしてそのような状況が識別された場合には、

明らかに重要な虚偽の表示に結び付かないと結論づけるに足る十分かつ適切な監査証拠を入手した場合を除き、監査人はこれを不正の疑いがあるものとし、不正の端緒として取り扱うこととし、不正の端緒に対応する監査計画の修正や監査手続の実施など不正対応に特化した監査手続の実施及び不正対応に特化した監査手続の実施による証拠の評価

を求めている。

企業会計審議会が、大型不正案件を受けて監査人による不正端緒発見時の対応を強化しようとしているのに対し、本書は、不正会計の端緒をいかに把握するかという点に重点を置いた解説をしており、冒頭で主として財務諸表や勘定科目レベルでの不正の端緒につながる数字の動き方と不正の類型を示した上で、個々の不正事例における発見の端緒や手口を解説するという形をとっている。それは「端緒としての違和感」をどのように得るか、また「結論としての納得感」をどのように得るかという形で表現されているため、監査人は監査調書において特に分析的手続の段階で、あるいは、監査対象として取り出された取引の監査証拠を評価する段階において、「違和感がないこと」あるいは「納得感があること」を表現できなければならないことになる。

そして万が一に、不正会計の端緒を発見した場合には、「平時」から「有事」へと頭を切り替え、対応していかねばならないと言っているのである。つまり本書の思想は、そのまま企業会計審議会の「案」に活かされているのであり、仮に「案」が「基準」となった場合には、監査人は本書から学ぶことになるため「必読書」とした所以である。

著者が監査人に対して最も厳しいのは、「監査の限界」および「監査の失敗」について明言しているところ(p347)である。

監査制度固有の限界としての「監査の限界」でよく言われるのが、被監査会社から監査報酬をもらって監査を行うという制度の建付けで、前提として会社側は自らが適切な会計処理をしていることを立証すべく監査に協力し、ゆえに監査報酬(監査時間)に対する下方の圧力がかかり、逆に経営者が不正を働いた場合には監査による発見が難しくなるという理屈である。

これに対して著者は、

「不適正な開示の最たるものである不正会計は、会社の協力が得られない限り、その発見は難しいとするのであれば、全く意味のない制度となってしまう。そもそも、不正会計を行っている上場会社は、その不正会計の発覚を避けるため隠蔽しようとするのは当たり前の話であり、会社の協力がないと発見できないというのでは、本末転倒であり、社会の納得が得られない・・・・期待ギャップがあるなどという抗弁は、全くの無意味であり、制度としての自殺行為としか考えられない。」p.348

と一刀両断である。これは監査人の論理を強烈に批判しているように読めるが、若干視点を変えれば、その状態を「制度」として看過してきた側に対する批判とも読める。本書の出版日が2012年9月25日であり企業会計審議会の「案」が出された開催日と全く同日であるというのは、偶然にしては出来すぎているというのが些か懐疑心が過ぎるであろうか。

著者のもっとも熱い思いは、p344あたりから現れる。

「監査人は過去の不正会計の事例を活かしきれていない」p345

や、

「平時の監査は、被監査会社との間の信頼関係で成り立つところがある。しかし、有事においては、その信頼関係はなくなったのである。」p345

など頷首できる部分もある。

しかし、

「会社側が観念すれば、不正会計の実態が明らかになるが、多くの場合、会社側の強い抵抗により監査人側が観念してしまうこととなり、その結果が、過去の多くの不正会計を許してしまった原因の一つ」p346

であり、

「監査人側が観念したといっても、明確な不正会計の事実を把握しながら観念したのではなく、会社側からの強い抵抗に『心が折れ』、監査人としての納得感が得られないまま、会社側の主張を安易に受け入れるとともに、・・・・自らを正当化する理由を探し出すとともに、『ま、いいか』との結論に至る。」p346

とまで言うのは、まるで正義の味方である監査人が丸腰で玉砕せよと言わんばかりの強引な主張ではないか。公認会計士である著者が会計士本来の専門家としての業務はどうあるべきかをロジカルに主張する中で、最近の不正事案における臍を噛む著者の思いを感じることはできたとしても、ここの部分だけが何故か精神論に走っているのがとても残念である。ここでこそ著者の考える監査の限界の問題をどう解決するのか、冷静な議論を期待するところである。

ただ、監査の限界などという難しい理屈よりも、会社法監査における事実上1カ月程度しかない決算監査期間の短さを何とかするなど、会社側の環境整備も、監査時間の確保という点で効果はあるのではないか。会社側も、決算発表、会社法関連実務(会計監査対応、取締役会承認、監査役監査、招集通知事務など)がある中で、たとえば招集通知には決算短信と同じ内容のものを添付すればよく、一方の有価証券報告書には総会で説明した内容を記載するなどの、企業実務をスムーズに流す方策を導入することも必要だろう。さすれば、不正会計への対応のみならず、株主総会の早期開催や、開示実務の負担軽減などにも繋がると思料するのだが、企業側と会計士側が協力して意見を出せないものだろうか。

閑話休題。監査人のスキルアップのために読めば、なるほど今まで曖昧に考えていたところが論理的に考察されているという点は、著者の経歴を見れば素直に受け入れて学ぶところは多い。キャッシュフロー計算書の16パターン分析などは、とかく「キャッシュは事実」という言葉に惑わされて業績の歪曲が現れる損益計算書に目が行きがちな監査人に対し、不正の端緒分析という事実から見抜けることをきちんと整理した視点で数字を見なければならないことを教わった。実際問題として、監査の過程においてはキャッシュフロー計算書は最後の検証対象となっており、実務上はバランスシートの増減とPLとを眺めながらキャッシュフローを推定しているところである。会社と協議しながら監査を進めていくという従来の姿勢に加えて、事後的視点で見るということも改めて強調してし過ぎることはない。

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