企業事故の発生メカニズム

2012年9月23日 | By 縄田 直治 | Filed in: ブックレビュー.
企業事故の発生メカニズム
企業事故の発生メカニズム

posted with amazlet at 12.09.23
谷口 勇仁
白桃書房

サブタイトルは「『手続きの神話化』が事故を引き起こす」となっている。

一般に事故が発生した場合には原因の分析が行われ、必要な対応措置がとられることになるが、得てして「担当者の不注意」「安全品質を軽んずる体質」そして「利益優先主義」が挙げられることが多い。

組織的対策という側面から見れば、「担当者の不注意」によって発生する企業事故は、人間の限界を前提とした組織の対策が何もとられていないか機能していないことを意味している。安全品質を軽んずる体質は利益優先主義と抱き合わせで捉えられると、企業が営利団体でありある程度のリスクをとることと払うコストとの関係をどう判断していたのかを議論しなければならないが、完璧以外のケースでは必ずといってよいほど利益優先になってしまう。また仮に安全策が適切に機能していたとしても、それを成立させる前提条件が崩れた際には安全策も逆に機能してしまうことがある。

すなわち、あるバイアスがかかってしまうと、結果的にそこに収斂してしまうような議論は問題の真の解決につながらない、換言すれば、なにも言っていないに等しいではないかというのが、本著者の問題意識の発端である。

本書は前半で、数多くの学術研究があることを明らかにし、この研究の立ち位置を明らかにしようとしている。その部分を読むだけで、企業事故についての社会学的、心理学的、経営学的側面からの研究を概観するに都合よい。一方で、いずれも一側面からしか事故を眺めていないこともわかる。

後半は、記憶に新しい雪印の食中毒事件をケースとして取り上げ、どのような流れで食中毒が発生したかを、

  • そもそもの食中毒の原因となる毒素の発生の仕組み
  • 雪印事件での発生の経緯
  • 会社がもともと取っていた法令よりも厳しい安全品質対策
  • その対策が有効であるための前提条件
  • 前提条件が現場で働く人の「よい」意識と重なったときに生ずる盲点

という形で捉えることによって、ブランドを失墜し会社を分割せざるを得なくなったストーリーを見ることができる。

ここで本書のサブタイトルでもあるキーワードの「当事者はなぜ安全と考えたか」という問いかけが重要である。詳細は本書にある「もったいない神話」である。もったいないという言葉は日本独自の価値で、「ものを本来ある形で十分活かしきることができず、無駄になることが惜しい」という考えを指す。もったいない神話とは、酪農家が一所懸命に作った牛乳をこぼしたり、ラインに残したりすることは、衛生上も、コスト上も、また心情的にもやってはならないことであるという考え方で、きわめて「当たり前」かつ「よいこと」である。

ところが、製造過程で分離された成分を前工程に戻すという日常的作業の中に盲点があった。加熱殺菌処理した成分が、あるインシデントで想定よりも長時間の停電により再度雑菌が増殖し、その過程で毒素が発生したが、通常の再度の加熱処理で雑菌が死滅したことにより、日常的な検査を通過してしまったというものである。

これは我々の監査に対する戒めにもなる。

ついつい「Aという事象には、Bという手続で対応すればよい」という意識になりがちだが、手続きの神話化とはまさに「Bという手続が有効である前提条件(A事象に対しての想定条件)」を忘れてしまうことである。「残高確認の相手先が関連当事者であった場合の確認の有効性」、「取引の処理者が役員であった場合の統制の有効性」など、監査基準の中でも言及されている。

会計不正が生ずる都度に監査基準は厳しくなっていくが、それ自体を否定はしないものの、本書のような研究によって「監査人の持ちやすいバイアス」を紐解き事故原因を責任問題とは別次元で切り離して検証することをしなければ、徒に「職業的懐疑心」を強調するのみに終わってしまう。これは本書が警告しているように「安全意識が低い」ことに原因があると言っていることと同値であり、著者によれば「何も言っていないに等しい」。まして、監査人の心証形成に繋がらないような手続、あるいは心象形成よりも対外説明を優先するような事態に陥っては、それ自体が「神話化」を促進していることになりかねないことを、一実務家として肝に銘じたい。

Print Friendly, PDF & Email

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

超難解計算問題 *