人材不足

2014年3月21日 | By 縄田 直治 | Filed in: 人材育成.

ここ最近、色々な会社の情報システム担当の方にお目にかかりお話を伺う機会があった。
共通して話されるのが、人材不足と育成の難しさだった。

ほとんどが、「私もあと数年で定年なので、それまでに出来る限りのことをしたい」という世代の方々である。

この世代の方は、昭和40年代の終わりから50年代のはじめくらいに就職した方々なので、入社時は当然にシステムなんていうものはなく(あっても電算室で給与計算をしていたくらい)、電卓さえもまだなかった頃で、もっぱら伝票とそろばんで業務が回っていた時代を経験されている。

その後、会社にシステムが導入されるときに何らかのきっかけでシステムの担当になり、現在の職責を担われているというケースが多い。つまり、会社の発展の歴史(ビジネスの変化)と業務の変遷とIT化の渦中をずっと見て来られたわけで、システムが「いま」の形になるまでの経緯を時間をかけて見て来られただけでなく、現場で業務も経験されているので、システムを内外双方から見られている「実践知の塊」のような存在なのだ。

最近のシステム部門で嘆かれる人材不足は、「業務が分かる人が少なくなった」ということだろう。そもそも営業などを経験しても入社時から「この画面に情報を入れてください」「このレポートを毎月みてください」と教育されてきているので、画面とレポートの間で何が起こっているかを知る必要もなく、また自分の入力したデータが自分で見るレポート以外のどこでどう使われているかを知る由もないという状況になっている。これを「便利な世の中」という。

またシステム部門においても、既にシステムがそこにあったり、パッケージを使ったり、開発を外注したりしているので、中身までを明確に分かる人が少ないのも頷ける。

便利な世の中においては、「実践知の塊」のような人を育成すること、言い換えれば、「現場に放り出して仕事を覚えさせる」というアプローチは、一部には有効かもしれないが、まずもって難しいだろう。現場で自分の手を動かして覚えた事務処理を、テンプレートを使って鉛筆で設計図を描いて消しを繰り返し、自分でコードを書いてテストし・・・というのを繰り返して仕事を覚えた人は、コアに必要なデータと業務処理の関係が明確に理解されているが、そういう経験をする場は皆無と言って差し支えない。つまり便利な世の中は、学習の場と必要性とを喪失させてしまった。

かといって、実践知を得る場がなくなったといって諦めるわけには行かない。例えば、昭和20年8月15日以降、日本では戦場に行く人がいなくなったので、自衛隊に「実戦」を経験した人はいない筈だ。では彼らはどのようにして実践的な知識を得ているのだろうか。また「いざ実戦」となった際のリスク感覚はどのように磨いているのだろうか。座学、訓練、疑似体験などいろいろな手法が工夫されていると信じたい。つまり、ビジネスの場においても、かならず実践知を学ぶ機会は創出することができるのではないか。またそれこそ「実践知の塊」の中にヒントが眠っているものと信じたいが、それを彼らだけの努力に頼るのではなく、周囲の方々が自らの知識不足を感じ取って、先生からいかに多く学び取ろうとする姿勢にかかっている。無論、冒頭の「人材不足」がそういう姿勢を欠いた人が多いという意味であれば事態は深刻だが、そこは人間の善意と誠意を信じたい。

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