準拠性証明と適正性証明

2010年9月25日 | By 縄田 直治 | Filed in: 監査会計用語.

財務諸表監査では、「財務諸表が一般に公正妥当と認められた会計慣行に従って適正に作成されている」かどうかについて監査人による意見が述べられる。これは金融商品取引法における財務諸表監査でも、会社法における監査であっても同じである。
しかし、旧商法時代の監査では、「適法証明」という言葉が使われていた。「計算書類が商法および商法計算書類規則に従い適法に作成されている」かどうかが監査意見の対象となる。
もとより、財務諸表が広く投資家を対象として投資意思決定に役立つ情報を提供しようという目的があるのに対し、計算書類は株主総会での経営責任の説明の一環として用意されるものであり、商法計算規定が会社債権者と株主との利害対立を調整する原理として配当可能利益(社外分配)規制として機能し、その計算結果を表示する方法として計算書類規則が機能していたのである。

準拠証明は、その言葉が示すとおり法に則っているかどうかが証明行為の対象となるから、法に正義がある。しかし適正証明は企業の実態が投資家にとって読み取れるかどうかが判断の根源にあることから、会計の諸規則に則るだけではなく、規則が想定しない取引や事象が発生した場合に、準拠性だけでは対応できない問題が生ずる。

新しい取引の収益認識の方法や、測定が難しい将来損失リスクの測定方法、あるいはそれらを注記でどこまで説明するかなどは、監査で常に議論になるところだ。その調整を、微細な規則で対応しようとするのが細則主義であり、色々な立場の利害を踏まえて専門家の判断に委ねようとするのが原則主義である。訴訟社会で何でも法律で解決しなければならない米国は、その論理的帰結として会計の諸問題を規則で解決せざるを得ず細則主義を採用したが、次々に発生する新しい経済取引に追いつくこともできず、また制定した法を維持(監視、改廃)するための社会的コストが大きくなりすぎて、自滅の道に進みつつある。適正証明しなければならない監査も準拠証明だけで手一杯という状況になり、会計の専門家がさらにその上の専門家に判断を仰がざるを得ないという結果を招いた。権利義務だけで物事を捉えるのではなく、道徳というもっと高い次元に立って議論をしようというMichael Sandel教授の提言が胸を突く。

これに対して原則主義といわれるIFRSはどうなのだろうか。必ずしも楽観視はできない。最も気になるのが、投資家の役に立つ情報という考え方を追求しすぎて絶対的比較可能性(つまり会計数値は一意に決まる)を求めるようになっていないかという点である。例えば、後入れ先出し法の廃止とか、工事進行基準の強制などは、企業側の考え方を踏まえない「みな同じ方法で」測定することを強調しすぎている嫌いはないか。測定の客観的一意性も大事だが、投資の目的が多様である以上、測定の方法論も多様であってしかるべきで、むしろいろいろな想定条件を含めた相対的比較可能性を目指す方が、財務情報の分析において必要な「色々な見方ができる」こと(これこそ比較可能性である)と、「使いやすい道具」であること(これこそ目的適合性である)が満たせるので、IFRSが今後、本当に使われる会計基準となれるかどうかの試金石になるのではなかろうか。

ついては、監査証明においても、最低限守るべき規則としての準拠性証明を必要条件として、注記に情報を充実させて理解を促すことが目的として達成できているかどうかを十分条件として適正証明の対象とする方向で議論してほしい。すべての事象をリスクとして測定対象にしていたのでは、リスク自体が将来に対する主観的事象である以上、準拠証明すらできなくなる可能性がある。

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