プロ・専門家・エキスパート

2010年6月15日 | By 縄田 直治 | Filed in: 監査と監査人.

似たような言葉で区別が難しいものの中には、よくよく考えると、かなり曖昧な使い方をしている言葉がある。

その典型が、プロフェッショナルprofessional、スペシャリストspecialist、エキスパートexpertの違いである。反対語は、それぞれ、アマチュアamateur、ジェネラリストgeneralist、ビギナーbeginnerだろう。

これら3つの概念は一直線上に並ぶものでもなさそうだ。

手許にある辞書(Longman Dictionary of American English)を紐解いてみると、

expert – a person with special knowledge or tainining

specialist – a person who has special knowledge or trianing in a field of work or study

professional – 1 a person who earns money by practicing a particular skill or sport, 2 a person who has great eperience and high professional standards

エキスパートとは経験(experience)を積み上げた人という意味だろう。ある道で経験を沢山積み上げて、ある技能や技量(expertise)を身につけた場合に、達人とか熟練者(expert)と呼ばれることになる。「技」と「経験」がある人のことだ。

辞書の説明を受け止めれば、スペシャリストは、ある分野におけるエキスパートのことを指すようだ。したがって、「分野」「領域」という枠組みが加わることになる。分かり難いが、電卓を速攻で叩くことができれば、電卓のエキスパートではあるが、それ自体は学問的職業的な分野ではないので、スペシャリストではない。

エキスパートとスペシャリストに対して、プロフェショナルは少し性質が違う。まずは「お金を稼ぐ」という条件1が加わっている。したがって、職業professionとして行うものであるという必要条件が付いていると言えるだろう。もう一つの条件2に、high professional standardsという言葉が付いている。これはある要求水準を満たすということであり、資格や業務品質、技能レベルなどを指していると思われる。しかし形式的な意味ではなく、実質的に技能を活かす相手(つまり顧客)が満足を得る水準ということを考えるべきであろう。

大学の教授は、専門家と言われてもプロフェショナルとは言われない。なぜか。

思うに、大学教授は顧客の問題を直接は解決する役割は期待されていないからではないか。つまり状況を把握して的確に指導・助言できることがプロフェショナルの要件であって、その素材を提供しているのが大学の先生たちである。しかしその分野では非常に深いところにまで見識があり、助言を求める人からすればこれほど助かることはない。しかし積極的に助言することは期待されていないのだ。しかも、その知識を直接用いて金銭を得ることはどちらかというと憚られる立場でもあり、むしろ知識を深めたり普及させるミッションに対する報酬として金銭が与えられていると考えるべきだろう。

公認会計士は会計の専門家といわれたり、会計のプロフェッショナルといわれたり、両方のケースがある。

「彼は金融商品の専門家だよ」という言い方はよくされる。当然に金融商品だけを知っているわけではなく、監査・会計の基本的概念は十分すぎるくらい分かっている上で、その仲間から「専門家」として一目置かれる存在である。金融商品の知識を提供するだけなら、おそらくプロフェショナルという必要はないだろう。商品開発をしたり、難しい処理を解決したり、新たなリスク評価方法を編み出したりといった「問題解決」が伴わなければ、顧客満足は得られないはずだ。

NHKの番組で「プロフェッショナル~~仕事の流儀」というのがあった。どうもプロフェッショナルは「流」という字が似合いそうだ。おそらく、満足の与え方に自分流が認められるようになった人がプロなのだろう。認められなければ単なる我流でしかない。画家の絵は例えば、ゴーギャン、ピカソ、ルノアール、ドラクロアと名前を挙げると、絵のタッチがそれぞれ想像できるくらい個性的な作品であるが、どれ一つとして同じではない。つまり絵がうまい(スキルがある)だけではだめで「認められた流儀」が備わっていなければならないのだ。換言すれば、プロかどうかは顧客が決めることで「自称プロ」はあり得ないということになる。

あなたは会計のプロですか? -- いいえ、単なる会計の専門家です。

かつてprofessとは神の言葉を代弁するという意味があると聞いたことがある。つまりprofessorは神の代弁者だ。代弁を受けた者がprofessionalで、聖職者、医者、法曹のみがプロであるという。神の代弁者であれば反論はできない。裏返せば、正義感、価値判断、要求水準などの「目指すべき道」が備わっていなければ、顧客は満足できないし満足しなくても従わねばならないという立場だ。もちろん、現代のビジネスでは顧客には選択の自由があるが、例えば、一旦選択した医者をころころ変える人は少ないようにやはり顧客側の自由な選択は知識や技能による制限がある。プロには生き方、目指す道やそれに至るための、ものの見方、考え方・思想といった流儀が反映されているはずで、「高度な人格」を要求した昔の監査基準に行きつく。

さて自分がprofessionalであるかはclientが判断するとして、その前提であるspecialistであり得るのかは、自問(自悶)せねばなるまい。

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One comment on “プロ・専門家・エキスパート

  1. 経営財務2956号(2010年03月01日)に「プロフェッションとは何なのか?」と題して会計士試験制度の議論を巡っての短いエッセイが掲載されていた。今頃読んでいる自分も情けないが、もっと早く読んでいれば、また違ったことをエントリーしていたかもしれない。その中で以下のような記述があった。

    「医師など欧米でプロフェッションとして形成された専門職は、体系的な養成過程を持ち、専門職業団体による自治や自主規制、高度な職業倫理、排他的職域などという特徴が見られるという。さらに、その判断や指示が一種の規範性をもって受容されることが社会的に同意されているという特徴を持つという。」

    とあった。さらに的を射た指摘として以下の率直な意見がある。

    「このような観点からすれば、会計の知識と技術を学んで提供するだけでは、プロフェッションとは言えず、いわば会計技能者である。プロフェッションとしての公認会計士は、経営者と対峙して投資家(さらには社会)に受容され得る判断を示せなくてはならない。」

    と。
    神の言葉の代弁者としてのprofessionを単にカタカナ語で据え置くには余りに無責任と感じつつ、日本の社会での共通認識と役割とを踏まえてこれに対応する漢字には何を当てはめればよいのだろうか。

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