監査における信頼

2010年6月2日 | By 縄田 直治 | Filed in: 監査と監査人.

監査とは決算に対する信頼を形にして表現するものだということはよく言われるが、その基本は経営者の誠実性を基礎にしている。

経営者の誠実性は監査証拠の信頼性の基礎となる。監査証拠の信頼性が高く十分な証拠が得られれば監査人は監査意見を表明する。

ところが、鶏卵論争にもなる厄介なのが、経営者が信頼できるから監査証拠の力が強いのか、監査証拠の力が強いから経営者が結果的に信頼できるのか、という問題点だ。

しかし考えてみると答えは簡単なことだ。経営者が信頼できなければ監査の前提が成立しない。つまり、まずは経営者の誠実性は監査の必要条件であり前提条件であると言える。

次に、経営者が信頼できるという前提の下に集められた証拠は、それ自体が信頼できるかどうかも重要だが、証拠集めの過程で監査人による経営者への信頼を裏切るような事実がないかどうかが、実は一番重要な点である。つまり監査人は経営者を信頼しても盲信しているわけではない。信頼を疑う事象を想定した上で、その疑いがあるならば得られるはずであろう証拠が得られないという、いささか遠回りした事実関係の積み重ねによって、心証を形成していくのである。

信頼性と証拠との関係は、次のような例を見ると分かる。

例えば、貸借対照表に1億円の貸付金が計上されていたとする。通常の監査では、貸付行為が合理的な意思決定プロセスで跡付けられた経営判断であることを稟議書などで確かめる、金銭消費貸借契約書で貸付契約が存在していることの検証、預金の出納記録で1億円の出金があったことの検証、相手先への債権残高確認などなどで、その貸付残高に対する心証を得る。

しかし、この貸付が実は裏金に回っているという疑いを挟むなんらかの事情があったとすると、監査はお手上げである。つまり、上記のような手続を採っても、相手先と経営者とが通謀していれば、還流した資金の存在を確かめる方法はもはやないからである(偶然に見つかることはあっても)。それは必要な資料をすべて提供した、簿外での処理はないといった、経営者確認による表明を得るくらいのことしかできない。しかしいくら経営者が確認書で表明しても、当の経営者が信頼できないわけであるから、監査意見を表明することは、まずは無理ということになる。

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