公に議論する場が必要

2008年11月24日 | By 縄田 直治 | Filed in: 開示制度.

会計基準に明示されていない取引や、ズバリ当てはまらない取引形態にぶつかったときには、会社の会計処理が妥当かどうかについてかなり時間をかけて検討(議論)することになる。制度は常に実務の後追いなので、仕方のないことであるが、もともと判断に迷うものについて、どちらか一つに決めなければならないというところに、選択の難しさがある。

企業は常時動いているものであり、動いているものを「測定」するのが会計だから、測定の対象を客観的に捉えられるようで実は難しいテーマなのだ。そもそも会計基準・開示基準が完璧であれば、制度改正などありえないわけだが、実態を見ると、制度はめまぐるしく変化している。IFRSに至っては「利益」の考え方からして根本的に異なっている。

開示基準として、制度に明示されていないような取引があった場合には、その旨と適用した処理方法を開示する仕組みを作り、皆で議論できるようにしてみてはどうかと思う。そして、それを開示した会社はたとえ後で誤りであったことになっても、訂正等の措置を取らなくてもいいようにする。それは、結果的に誤りなのは制度が不備であったからなのであって、会社に非はないはずだから。

守秘義務を負わされた会計士だけが判断する限りは、どうしても会社の主張が通りがちであるし、また実際にどういう処理が行われたかが分からずに埋もれたままになってしまう危険性がある。変化の激しい世の中では、分からないことは分からないこととして公にし、衆知を集めて議論して早めに解決策を見出す必要がある。もう一つは、もともと動いているものを一つの測定値に収斂させることには限界があるという前提をきちんと確認して、専門家(つまり監査人と実務家)の裁量を尊重するように、会計制度・監査制度が構築できないのか。

最近、ほとんどその存在が忘れ去られ議論の端にも出なくなっているが、「企業会計の実務の中に慣習として発達したもののなかから、一般に公正妥当と認められたところを要約したものであって・・・・」という企業会計原則の精神に立ち帰る必要がある。そのためには実務の中で何が起こっているのかを適時的確に把握できる必要がある。

なお、企業会計原則は廃止されたわけではない。会計の本来の役割は企業活動をある観点で「測定」することである。その本旨は何ら変わっていないはずであるが、最近は経営者や監査人の責任を追及するための臨界点を決める手段という側面が強くなってきている。そうなると益々「一つの測定値に収斂」という傾向は強まり、アメーバのように動いている企業実態と本来の会計の目指すところが乖離していき、結果として会計の地位は低下し企業活動は分かり難くなっていくことになる。

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