監査手続と技法(技術)

2012年12月8日 | By 縄田 直治 | Filed in: 監査手続.

監査における手続(procedure)と技法(technique)の違いは、英語でみるとよくわかるが、日本語の実務ではよく混同される。

監査手続とは、リスク評価手続、リスク対応手続、分析的手続、実証手続などの文脈で使われ、監査目的を達成するために実施される一連の手順で、必ず一定の監査目的に対する心証を伴う結論を得る。結論として、例えば「帳簿に計上されている売掛金は実在している」という心証を得るのが、手続である。

一方、監査技法とは、心証を形成する根拠となる一定の事実を結果として得るための一連の手順のことで、計算調べや照合をして一致をみる、質問により回答を得る、状況観察して実態を把握する、など、監査人の五感が駆使されるという性質がある。

例えば、確認は手続でもあり技法でもある。特定の取引先に対して売掛金の残高確認状を発送して先方残高の回答を得て一致をみることは、その取引先の残高が会社残高と一致していると推定し得る一つの事実であり、技法と位置付けられる。しかし、確認状を発送しなかった取引先の残高についてはどうなのか、あるいは回答を得た取引先が会社と通謀していた場合には、その信頼性に対する疑問が出てくるが、こういった疑問を一つ一つ潰していかねば、心証は得られない。

監査目的に対してどのような証拠を集めて心証を形成するか、またその証拠を得るためにどのような技法を用いるかは、監査計画の中で監査人の専門家としての判断が要求されるところであり、技法を駆使して得た事実を証拠として採用するかどうかは、手続の最も重要な部分ではあるが、おそらく一般人にはもっともわかりにくい部分だろう。「何を出せば納得してもらえるのか」という苦情めいた質問は現場でよくある話であるが、目の前の一人の監査人すら納得させられない取引の合理性や会計処理の適切さは、衆目に耐えるとは言い難い。監査人の心証は最終的には文書による論証に置き換えられなければならないため、専門的判断という点よりも、よく多くの人を説得して納得させ得るかという点に行き着くのである。

昨今、監査の効率化という言葉がしきりに強調されるようになってきたが、これは会計士監査に限らず経営者による内部統制評価においても同様である。効率化は強調しすぎると監査が疎かになるというように、監査品質との対立項として議論されることがあるが、これは大きな間違いである。心証形成に繋がらない手続を排除し、より信頼性の高い証拠を得られるよう技法を駆使することが監査の効率化なのであって、監査の本質である。究極は「その程度の虚偽表示であれば、許容できる」(合格ラインぎりぎり)水準まで手続と技法を取捨選択していくことが監査を実施する者には求められている。

大きな枠組みを外れて細かい技法を議論しても、監査の効率化は難しい。あえて譬えれば、建物の構造計算が誤っているところに、ネジの締め方や釘の打ち方を云々したり建材の品質を確保しても、建物の安全性の担保はできないのである。他方、構造計算が完璧であっても芯柱のネジの一本が緩むと、建物は倒壊の危険に晒されるので、そこも疎かにできない。

さて、確認等の技法により不正の兆候を察知した際に、確認の証拠力をより高める手段を採ることは、本当に監査の信頼性を高めることになるのだろうか。経営者に対して不信感を持った際に、より強い証拠を得なければならないとする前提は、監査人が信頼しないもののために努力してリスクを負えと言っているようで、どこか腑に落ちないものがある。ではどうすれば「よい」のかについては、私には答えがない。ただ監査人はそういう事態は起こりうるという覚悟だけはしておかねばならない。

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