職業的懐疑心は如何にして伝承するか

2008年11月27日 | By 縄田 直治 | Filed in: 監査と監査人.

監査基準の一般基準(三)に曰く、「監査人は、職業的専門家としての正当な注意を払い、懐疑心を保持して監査を行わなければならない。」とある。一般に「職業的懐疑心」(professional skepticism)と言われる概念だ。

監査意見は、一連の監査手続によって得られた証拠に基づいて形成される「心証」を拠り所とする。簡単に言えば、ありとあらゆるものを疑ってかかり、それを打ち消す証拠を積み上げることによって、自分の疑いを納得の行くまで客観的に否定していく行為である。すなわち、証拠がいくらあっても心証が形成されなければ、適正意見も不適正意見も出せないのである。つまりこの心証形成にあたって安易に結論付けたり予断を持って接してはならないというのが職業的懐疑心を公認会計士に求められる意図である。意見形成にあたっては、最後の最後は自分の良心だけが頼りなのである。

ある程度は科学的なメソッドで教えることはできる。典型的なのはマニュアルに従った手続を刷り込んでいくことである。しかし、職業監査人の本質は手続をこなすことではなく手続を考えることであり、自分の疑念を晴らすにはどういった手続が必要かということを考えなければならない。また同時に、やはり疑念そのものが心の中に湧いてくるようにならなければ職業専門家とは言えないのである。そこにはどうしても「形より入って心に至れ」という精神論が出てこざるを得ない。

骨董品屋(古物商)が質種などの真偽を見分ける方法をどうやって教えるかを、昔どこかで耳にしたことがある。それは、本物を見続けさせることが一番良いらしい。本物をずっと見ていると、偽物が来たときになんとなく「違和感」を感じるようになるそうである。監査で本物といえばやはりしっかりとした会社の統制手続や管理手法に接して、「よいお手本」を見ることだろうと思う。しかし全員がそういう機会に恵まれるわけでもないし、機会があってもやはりそれを感ずることのできる人とできない人とがいるのが悲しい現実である。

昨今、公認会計士試験合格者が増えて業界全体に若年層が急増している。そういった中で、従来であれば一子相伝的に伝えられてきた「ものごとの見方」が中々伝わりにくくなっているのが実情なのではないか。監査の本質が伝えられなくなっているとすれば、それはいくら監査の厳格化を叫んだところで、絵空事に終わってしまう。目下、最大の悩みであるが、どうすればよいのか答えは全く見えていない。

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