昨日は、新人の頃から永年お世話になった3人の先輩(先生といわずあえて先輩という。)の送別会が行われた。お三方の個性はまさに三者三様であり、会計士業界では自分の個性をつぶさずに個性を認められるようになること(持ち味を活かすこと)が如何に大事なことかが分かる。
組織再編や役職などによりお三方との仕事上の関わりは当初の三年間が中心であったが、思い起こせば実に色々なことを直接間接に教わったことを、昨日は思い出しながら酒を飲んだ。
1.経理部長ではなく経営者と話をしろ。
決算の責任者は、組織規定上は経理部長になっているが、所詮は取締役会規則上の委任事項であり、決算についての最終責任は経営責任と表裏一体である。監査の遂行過程では「経営者との協議」が強調されているが、それは監査手続として行うことも必要だが、そこには常に経営者の経営責任と表裏一体のものとして決算が存在しているということを念頭において監査をしなければならない。
経理部長も人間であり、万が一、数字の操作を経営者に指示されたとき、あるいは指示がなくても「意を汲んで」なにかをすることがある。しかしそれは経営者の意図を誤解していることもある。経営者の人格と対峙できるような会計士としての人格を形成しなければ、いい監査人にはなれない。
2.監査は何をすべきかを考えると同時に何をしなくてすむかも考えろ。
監査意見の形成とは、監査対象となる企業行動に対する監査人としての心象の積上げによって行われるものである。
したがって、教科書や監査マニュアルに記載されている「監査手続」を漫然と実施するのではなく、職業的懐疑心にもとづいて本当に自分の心証形成に必要な証拠は何かを考えながら、それを得るべく手続を選択しなければならない。つまり、心証形成に寄与しない証拠集めは無駄な作業であり、効果のないコスト要因となる。
3.人の考えも聞きながらも最後は自分がどう考えるかが大事なことで、そこには正義感が必要である。
これは、一見正しそうな考え方に付和雷同するなという戒めである。時には会計制度自体の社会的な意義や時代背景とのズレの影響なども疑いながら、最後は自分で判断しなければならないということである。
制度という手続形式の存在よりも経済社会という実態のほうが時間的には常に先行するのであって、それは最新の金融商品に限らず、昔からある取引形態であったとしても言えることである。
決算の持っているメッセージを受け手がどのように捉えるかは、直接聞くわけにも行かないので、自分で考えなければならないが、それは実に難しい話ではある。
制度と実態と受け手の捉え方のバランスの軸になるのは社会や企業に対する自己認知を統合してあるべき姿を考え出す自己の正義感でしかない。
4.監査法人における業務開発とは、一方で新しい仕事を作り上げていくことであると同時に、他方では人材を開発していくことである。
監査法人とは監査業務を遂行する機能組織であると同時に、企業業績の測定に係わるあらゆる領域において活躍するリーダでなければならない。そのためには、それに責任をもつ経営者と対峙できる人材を常時開発していかねばならない(換言すれば、自己研鑽が必要である)し、そのための機会を作り考えながら仕事をしていくことが業務開発である。
いずれも、いまだ実践できず先輩を送り出さざるを得ない自分がそこにいる。