あけましておめでとうございます。
あまり更新しないこのブログですが今年もよろしくお願いいたします。
今年は昭和改元百年ということで少し話題になっていますが、1926年12月25日に大正天皇が崩御され昭和と改元されました。厳密に考えると、昭和元年が1926年なら昭和百年はその99年後なので2025年ですね。つまり今年は昭和百年、新たな百年の始まりということになります。昭和元年の百年後は昭和101年になるため、2026年です。時々勘違いをします。
同じような話題は西暦2000年のミレニアムのときにもありました。21世紀は2000年から始まるのかそれとも2001年から始まるのかという議論です。正解は2000年は20世紀の終わりの歳であり、2001年から21世紀が始まりでした。西暦元年から1世紀が始まったので、21世紀は2001年から始まるわけです。
暦には0年とか0月という概念はありません。0は通過するある一瞬を表しているだけで期間を示しているわけではないからです。期間でなければ年も月も日も存在しようがありません。かつて数え年という考え方がありました。生まれたときに一歳になり、お正月に全員が一斉に一つ歳を取るという計算方法です。昭和元年は7日間しかありませんが、年が明けたら昭和二年ですのでこれも数え年です。現代でも厄年は数え年で計算します。
しかし0時は存在するではないかとの声が・・。
時分秒はいずれも未満の場合は一つ前の数字になります。0時5分とは、日付変更から300秒以上360秒未満経過した時間を表しています。時分秒は満年齢の概念なのです。したがって24時という時刻は存在せず、その瞬間に翌日の0時を迎えることになります。正午を12時と言う場合は、24時間制に基づいており、0時という場合には12時間制(つまり半日ごとに時間の単位が入れ替わる)に基づいたものです。正確には午後0時という言い方はせず、正午というべきです。0時は午前と午後の境目の瞬間だからどちらにも属しません。
年月日に話を戻すと、実は時分秒と同じく量を表すときは0か年とか0か月という言い方があることに気が付きますね。したがって、「とき」は量的概念で表すときには0が存在し、期間の区切りを意味するときには0が存在しないということになります。数学で言えば、「とき」は連続する概念であり、「間(ま)」は一つ一つが離散している概念です。あわせて「じかん」と呼んでいるところも興味深いですね。
ややこしい話をしましたが、こういうことを自然に使い分けている人間の知恵について正月休みの間に考えたので、メモ代わりに残しておきます。
今年もよい歳でありますよう祈念いたします。