原点は会計

2022年9月2日 | By 縄田 直治 | Filed in: データの利活用, 人材育成.

先日、新聞でこんな記事が。

金融教育を国家戦略に 資産所得倍増で金融庁提言へ 金融庁の22年度行政方針判明

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB2816L0Y2A820C2000000/

金融とかお金に関して子供の頃からどこで何を学んだかはほとんど記憶にありません。小さい頃は、大人からお小遣いをもらうのが嬉しかったけど、「無駄遣いしてはいけない」「買食いをしてはいけない」「友達と貸し借りをしてはいけない」「おごったりおごられたりもいけない」など、使いなさいと言うよりは使ってはいけないという印象がありました。ただ、あの頃の大人の言葉には、今で言う「アカウンタビリティ」の原点があるように思えます。

高学年の頃だったか、おそらく足し算引き算が出来るようになってからのことでしょうが、郵便局で冊子になったお小遣い帳をもらってそれを自分で管理しなさいと言われ、しばらく記録していた覚えがあります。これもいつの間にかつけなくなってしまいました。

中学校の社会(公民?)の授業で、企業、家計、政府の関係とか、銀行の役割というのを習ったのは明確に覚えています。株式会社という仕組みを知ったのもこのときかもしれません。銀行の役割とは、授信機能と受信機能とがあるというチンプンカンプンな言葉を板書され、それが貸付と預金のことでした。加えて決済仲介機能をあわせて銀行の役割というものでした。このときさらに日本銀行の役割が、政府の銀行、銀行の銀行、紙幣の発行ということも教わった覚えがあります。※小林先生はお元気でしょうか?

高校生のときには学習課程が大きく変更され、「現代社会」なる一般教養的な科目が創設されました。「政治経済」という科目が3年生くらいであったはずなので、その前哨戦のような内容です。その中で、国民所得統計のGNP(いまではGDPを指標として使いますが)とか、生産・分配・支出の三面等価の原則、日本銀行による公定歩合の調整とか国債の売買オペレーションなどを習っています。

プラザ合意すらまだない、現在とは全く様相の違うのどかな時代ですから、一ドル240円位、銀行も証券も完全規制業種、株の売買は取引所の立会場で証券マンたちが盆踊りのように身体を動かして取引を繋いでいた時代です。

いまでいう会計とか財務というようなことはまったくと言っていいほど触れる機会はなかったはずです。複雑になった現代社会、いまの若人たちは何を学んでいるのでしょう。

私は大学に入って初めて簿記会計というものを勉強しました。それがきっかけで公認会計士を目指すことになるわけですが、簿記の仕組みはまったく新しい世界だったのでとても新鮮でした。また、その後、仕事をしながら分かったことは、簿記会計の仕組みを頭に入れている人は、物事を因果関係をつけて立体的に見ることができるという点です。

金融教育において、社会の仕組みを勉強することはとても必要なことですが、これに加えてお金や価値がどのように決まり、流通し、それらが日々どのように管理されているかという原点にあるのが会計であることは言うまでもありません。ヒト・モノ・カネと言いますが、お金の動きほどこと細やかに管理把握されているものは世の中にないと言えるでしょう。それが社会のなかで情報としてどのように使われているかを理解するには、会計教育は必須です。

会計のカリキュラムとしては、小学生で小遣い帳と家計簿について学ぶ。中学生で複式簿記的な家計簿(住宅ローンなどを考慮したもの)と、商業簿記の入門的なことを学ぶ。高校生では一般的な企業会計の考え方に加えて、会計データの扱いを情報で学ぶという程度のことは必要でしょう。会計の勉強は背後にある実体社会との関わりがわからないと理解し難しい面もあるので、他の課程との関連も考えたカリキュラムにすべきです。

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