監査基準改訂(令和二年)の問題点

2020年11月10日 | By 縄田 直治 | Filed in: 監査と監査人.

先日(令和2年11月6日)、企業会計審議会総会が開かれ、監査基準の改訂が審議承認されました。https://www.fsa.go.jp/singi/singi_kigyou/siryou/kaikei/20201106.html

前回の改訂ではいわゆるKAM(監査上の主要な検討事項)が導入され、監査報告書がそれまでのシンプルな意見の表明であったことに加えて、改訂後は監査上の論点の説明を監査人が記述して説明するようになりました。令和二年3月期の監査では先行導入した企業四十社余で対応していますが、本格的導入は今期からです。その効果測定や定着を待たずして今回さらにまた従来の監査概念を大きく変えるとも言える改訂です。

改訂の概要

今回の改訂は、いわゆる記述情報(財務諸表に含まれない有価証券報告書上の開示事項)が充実拡大していくことに対する「当該情報に対する監査人の役割の明確化、及び監査報告書における情報提供の充実を図ることの必要性が高まっている」との前提が置かれています。その前提の下、

監査人が当該情報について通読し、当該情報と財務諸表又は監査人が監査の過程で得た知識との間に重要な相違があるかどうかについて検討し、その結果を監査報告書に記載することには、監査人の当該情報に係る役割の明確化を図るとともに、監査の対象とした財務諸表の信頼性を確保するという効果も期待される。こうした問題意識を踏まえ、当審議会は、監査した財務諸表を含む開示書類のうち当該財務諸表と監査報告書とを除いた部分の記載内容(以下、「その他の記載内容」という。)について、監査人の手続を明確にするとともに、監査報告書に必要な記載を求めることとした。

監査基準の改訂について(案)一 経緯 令和2(2020)年11月6日 企業会計審議会

監査人の手続とは

慎重に読めば気がつきますが、上記引用の最後の「監査人の手続を明確に」の部分は「監査手続」とは言っていません。なぜなら、監査手続は財務諸表に対する監査意見の表明を目的として遂行される監査人の行為であり、一方で今回導入されようとしている「その他の記載内容」に対する監査人の手続は文字通り、財務諸表以外の部分が対象ですので監査意見の対象範囲には含まれないのです。

監査報告書に新しい区分が

この新しい「監査人の手続」は、監査報告書に「その他の記載内容」の区分を設けて、「その他の記載内容」について通読範囲等を含め監査人が報告すべき事項の有無や、報告すべき事項がある場合はその内容を記載することになっています。

そして監査人に新たな責任が

監査業務の最終成果物である監査報告書の体裁が変わることは、監査人の責任が変わることを意味します。つまり、

監査人が、上記の重要な相違に気付いた場合や、財務諸表や監査の過程で得た知識に関連しない「その他の記載内容」についての重要な誤りに気付いた場合には、経営者や監査役等と協議を行うなど、追加の手続を実施することが求められる。「その他の記載内容」に重要な誤りがある場合において、上記の追加の手続を実施しても当該重要な誤りが解消されない場合には、監査報告書にその旨及びその内容を記載するなどの適切な対応が求められる。

として、監査人に監査対象外の範囲についての誤りについて経営者に指摘し解消させる追加的責任を負わせており、事実上は監査業務の範囲を監査意見形成の責任範囲よりも大きく拡大しています。当然ですが、「重要な相違」や「重要な誤り」を対象としているとはいえ、通読して報告すべき事項はないと言うためには、それなりの修正やそれを巡る協議が必要なことは目に見えています。有報チェックの時間は増大するでしょうし、これまで議論されてきた有価証券報告書の早期提出による会社法事業報告との一体的運用は遠のくことになります。監査意見報告書も意見表明から監査業務説明書へと位置づけも変わるかもしれません。

監査基準としての問題

監査基準の監査の目的は意見表明である点は従来を踏襲しています(第一 監査の目的 1)。今回追加される「監査人の手続」を監査基準に加えることは、監査人にとっての憲法のような存在である監査基準が、その目的の見直しすらしないまま、なし崩し的に監査人の責任を拡大していくことにならないでしょうか。本来なら、監査の目的を「市場に信頼できる情報を意見を通じて流通させる」ことに変更すべきです。これについてはパブリックコメントにも上がっていますが、「貴重なご意見として承ります。」という回答が示されているだけです。

監査人の業務範囲を拡大することについては異論はありませんが、監査人の責任と監査責任とを曖昧にすることには疑問を覚えますし、監査基準で監査責任以上の責任を定義することにも反対です。いくら意見の対象ではないと言っても監査基準で監査報告書に書かねばならないと示されれば、監査をする当事者の監査人にとっては、監査責任と監査人の責任の違いがわかったとしても、情報の利用者にとっては却って分かりづらくなるでしょうし、監査人の責任を前提に監査を捉えることは明らかです。監査基準は監査に対する社会的コンセンサスを下に監査人の業務と責任を定義する存在ですが、監査人に対する責任を下に監査意見の範囲はここまでですよと言ったところで、監査に対する期待ギャップを拡大し、市場の誤解を拡大する懸念を抱かざるを得ません。

開示の方法についての根本的課題

以前から主張していることですが、既に企業による情報提供はインタネットを用いたWEBでの情報提供が社会的に定着しています。提供側はタイムリーかつ書面の郵送に比べれば遥かに低コストで情報提供ができますし、情報の入手側も鮮度の高い情報を日常的なツールで入手できますし、報道機関や情報提供サービスを通じたサマリ情報の入手もできるので、ネット開示はもはや社会インフラと言ってもいいでしょう。このインフラがあることを前提とした開示の運用が図られるべきですが、いまの開示制度は相変わらず「有価証券報告書」という一冊の書類を前提とした建付けになっています。

財務諸表は監査報告書が提出された際に独立して開示し、役員人事、事業計画等の重要情報はその都度開示しプレスリリースすれば、それをあるタイミングで一冊の書面にまとめて出す意義は皆無です。必要な情報はポータルサイトに項目を集めてリンクしておけばよいだけのことです。

このような新しい開示モデルができれば、上記のようななし崩し的な監査人の責任拡大は不要となるでしょう。もちろん、記述情報についての監査人のコメントが必要なのであれば、監査基準の外側で新しい制度として検討すればよいのです。行政手続のデジタル化の議論の中でぜひとも議論していただきたいものです。

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