令和二年正月お年賀

2020年1月3日 | By 縄田 直治 | Filed in: 未分類.

令和二年が明けました。

実は最近まで正月がなぜメデタイのか、あまり実感がありませんでした。ただ周りがそういうように騒いでいるので、おめでたいのだろうということでしかありません。子供の頃は正月が近づくと餅つきをしたり、正月にお年玉をもらったり正月遊びをしたりと「楽しい、嬉しい」記憶はたくさんあります。特にコマを回せるようになった時の感動はまだ強い記憶で残っています。が、一方で年末に大掃除をするときに叱られたり、正月にきちんとした服を着せられたり、親戚の家に行って大人の酒席に座らされて話しかけられてご機嫌よく返事をするのが嫌いでした。要するに愛想がない子供でした。

しかし、50歳過ぎた頃から「あと何回正月があるかな」と考えるようになりました。なので年が明けるとメデタイのかな、そういうのであれば正月に限らず季節の行事、さらにはあらゆる事象が一期一会と考えれば、全てがメデタイということですね。私にはメデタイという言葉は「芽が出る」、つまり努力して目標を達成した人に向けて使う感覚なので、正月は「(長生きできて)ありがたい」という感謝の言葉ほうが気持ちとしては素直に受け取れます。昔のように数え年で年明けとともに全国民が一斉に年齢が上がるというのであれば、一斉にお祝いをするというのも頷けますが・・・。

かつて昭和天皇陛下が八十歳の誕生日を迎えられた時のお気持ちを、「特に八十だからどうということはなく、一つ歳が上がったというだけのこと」というお言葉を遺されていますが、戦争で亡くなった方々への強い思いが、自らが生きながらえることへの国民への感謝と「お祝いどころではない」という気持ちとが強く出た正直(複雑)なお気持ちであろうと感じました。

私がときに、「少し変わった人」「理屈っぽい」という印象を持たれるのはこういうところにあるのは間違いないのですが、感覚として変わっているのは認めます。ただ理屈っぽいのは、「変な」感覚を表明すると必ず「どうして」と問われるので言葉で理由を説明せざるを得ず、無理やりこじつけを言うことが多く、それが理屈っぽく受け止められるのでしょうね。本音は「なんとなく・・」でしかないのです。そうだ、これからは「なんとなく」で行こう!

さて、令和庚子の初めにあたって「一年の計」を表明するようです。

昨年、監査法人を退職して独立開業したものの特に仕事らしいことは何もしないまま無為に半年を過ごした訳ですが、実態は「故郷の山口で」やろうとしていたことを諸般の事情で諦めざるを得なかったので、東京での生活や仕事を再考する期間でした。一般に監査法人退職後は、税理士登録して税務顧問を始める人、上場会社の役員になる人、企業の経理部門等に勤務する人がほとんどなのですが、どうも自分はどれでもないという「感覚」があるので、一旦はボケッとして身体の中から出てくる何かやりたくなることを見つけ出す期間でした。

そこでやはりというか改めて感じたことは、メカであれ回路であれ、プログラムであれ組織、制度、プロセスであれ、新しい仕組み(システム)をあれこれ自由きままに考えるのが好きな自分でした。「好き=向いている」わけではないしできるということでもなく、まして儲かるというわけでもありませんが、考えるどころか聞くのも嫌という人もいる領域ですから、好きなことは一つの強みかなと思うわけです。

問題となるのは、そういうことを「看板」に掲げて仕事はできないということです。「一緒に考える」では当たり前です。仕事にするためには「価値」を提供できなくてはなりません。また「価値」を出すためには嫌いなこともしなければなりません。もとより「好きなことは仕事にしないほうがよい」というのが自分の考えでしたが、結局これまでの仕事を振り返ると、比較的好きなことをやってきてたまに嫌いなことを「仕事だから」と割り切ってきたようなところがあります。退職した理由も、好きなことが出来ず最も嫌いな管理系の仕事をやらねばならない状況になったためです。

そういったわけで、もう少し、「看板にする言葉」を考えていきたいというのが今年の目指すところです。ここでも、感覚を言葉にすることの難しさの壁にぶつかっています。言語力が低いこともよくわかりますね(苦笑)。

もちろん、仕込みとしての勉強はこれまで通り続けていきます。そういう輩ですがご迷惑はおかけしませんので今年もよろしくおつきあいをお願いいたします。

Print Friendly, PDF & Email

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

超難解計算問題 *