平成9年11月に自主廃業した山一証券の損失飛ばし事件について、当時の監査人であった筆者が事件に関係する裁判、公認会計士協会、監督官庁などの調査、検査等の対応と、無罪を勝ち取るまでの一連の記録。会計不正が発生すると必ず出てくる「なぜ監査で見つけられなかったのか」について、当時の飛ばし行為の内容や経営陣による監査妨害工作にも触れられている。
監査人としての興味は、「飛ばし行為が如何に巧妙に行われ、これに対して監査手続がどこまで迫ることができていたか」ということだった。しかし読み進めるにつれ、如何に正当な注意を払って職務を遂行したことを対外的に説得力を持って訴えることができるか、裁判官をはじめとする関係者を納得させることができるかということの重要さを認識させられるようになる。
マスコミ等によるバッシングなどに対する当時の心境も綴られているが、こういう事件に遭遇した監査人は、最終的に裁判で勝訴してもその間に失われるエネルギーや時間は計り知れないものがある。そもそも裁判の構造が、勝訴する監査人にとっては結果的には消耗戦が終わる以上の何のメリットもなく、敗訴すれば多額の賠償金を支払わねばならないという片務的状況の中で行われることから、「和解」というささやきに気持ちが向いてしまうのも分からないではない。よほど精神的にも肉体的にもタフでなければ、乗り越えることができないであろう。
職業人生が約40年あるとして、そのうちの10年を裁判に取られてしまい、さらには最も成熟して社会に役に立てるとき(つまりそうであるからこそ責任を取る地位に付くわけなのだが)に本来の業務が何もできないという状況は、考えただけでも身の縮む思いがするが、それをあえて記録として公開し監査制度の健全な発展に寄与することを自己の役割と考えて本書を著した著者に敬意を払いたい。
そしてというかやはりというか、結論は著者が末尾に書かれている次の数行に尽きることを思い知る。
いかなる場合も自ら実施した監査手続の内容をすべて明らかにして、監査実施時に適用される監査基準・監査実施準則が求める水準の監査を実施したことを監査調書に基づいて証明することが、監査人としていかに大切なことであり、このことが監査人の身を守る唯一の方法である
監査人であれば「心構え」として一度は読んでおきたい。
Tags: 不正