風と太陽のお話

2012年2月11日 | By 縄田 直治 | Filed in: 財務報告統制.

ある日、空の上から地上の道行く旅人を眺めていた、風と太陽が話をしました。

「風くん、向こうから来る旅人が着ているコートを脱がせることができるかな。」

「簡単さ。」

風は一生懸命息を吹いて旅人のコートを吹き飛ばそうとしました。しかし、旅人は着ているコートが飛ばされないように却ってしっかりと押さえてしまい、とうとう風はコートを脱がせることができませんでした。

「太陽君、まいったまいった。でも君に出来るのかい。」

「任せとけ。」

太陽は、ニコニコ微笑みながら旅人にぽかぽかと陽を降り注ぎました。

するとどうでしょう。暖かくなって汗をかき始めた旅人は、それまで押さえていたコートを自ら脱いでしまいました。

誰もがご存知の、風と太陽の話ですね。
原典がどこにあるのか、イソップなのでしょうか、いろいろなところで援用されるので、話は誰でも知っていますが。
最近では、韓国による対北政策のことを、軍事敵対的政策から援助を中心として懐柔する政策をとった時に「太陽政策」と言われたりしました。

会計不正の防止という観点からは、従来は、監査の強化とかガバナンスの強化といった経営者に対する外部の圧力を強くする政策や、内部統制評価に監査までつけるという強制策が採られてきました。御察しのように上記の逸話に例えれば、風の政策を採ってきたわけです。その結果として、経営者や監査人が「やりたいこと」「やるべきこと」「やっていること」の間に差が出てきているといわれます。

現在の内部統制制度は次のような問題が言われています。

1.メリットは理解できるがコストに見合っているかどうか分からない
2.経営者と監査人と二重である
3.監査コストの増大を招いたが、不正は減らない
4.本来見るべき実質を見る(リスクアプローチ)のではなく、見たことの記録を残す形式主義(タスクアプローチ)に陥っている嫌いがある
5.結果的に、監査リソースが本来的に監査人が重要と考えている実証テストよりも内部統制評価に取られてしまい、監査時間の配分が旨く行かない

勿論、そういった政策自体が不要とは申しませんが、一方で、経済自由の原則をもっと活かして、経営者の自主性を重んずる太陽政策があってもいいのではないかと最近は考えています。経営者や監査人にとって内部統制の整備運用が結果的に「お得」になるような方法を採ることを提案したいのです。

(誠実な)経営者にとって最も頭の痛いのが、コスト問題です。これは実際にかかるお金もさることながら、それに要する人的資源配分や内部対応といったところですね。一方、監査人にとっては本来は実証テストの範囲に要するリソース配分と、統制評価によって正味軽減されるリソース配分とのバランスにおいて決められるべき統制評価手続が、経営者の統制評価それ自体を独立した監査対象としてしまったがゆえに、実証テスト範囲の軽減には繋がらないようなことまで評価の対象に含めなければならなくなってしまっています。

では、太陽政策としてどのようなことが考えられるのでしょうか。

経営者の評価方法を監査人は尊重しなければならないとする考え方は、経営者が誠実に内部統制を構築運用している限りにおいて、同意できます。
これは、内部統制自体が経営者の判断によるものであって決まった形があるわけではないので、おのずと評価の方法もそうならざるを得ないので、当然のことを確認したに過ぎません。

しかしそうなってくると、内部統制評価に対する監査証明自体が何の意味を持ってくるかということになります。むしろ「経営者のやっていることを確認しました」程度の意味になってしまいます。なぜなら、財務諸表監査における内部統制評価は、実証テスト範囲を決めるために監査人がリスク評価に基づいて決める部分は依然として残されていますし、部分的には監査人の要求を満たすだけの評価を経営者が行っていないこともありうる前提で制度が作られているわけなので、「経営者評価はOKです。でも会計監査ではNGです。」という説明にも理解にも苦しむ現象が起こりえるわけです。
事実、試査を基礎とする財務諸表監査においては、実証テスト範囲の合理性を決定づけるのは監査人の内部統制に対する心証ですし、最終的には財務諸表の適正証明をする監査人にとっては譲れない部分でしょう。

太陽政策をさらに進めていくと、次のような制度設計が考えられないでしょうか。
1.経営者評価は経営者の責任において経営者が実施し結果を公表・宣誓する。
2.経営者評価結果の活用は、監査人独自の評価とも合わせて、財務諸表監査を実施する監査人の専門的判断に任せる。
3.監査の過程で気がつく内部統制の不備については、監査人が積極的に経営者に伝達し改善を求めることを奨励する(いわゆる指導的機能)。
4.監査人の指導に対して経営者が応じない場合、立場の相違として、監査人は実証テストの範囲拡大で対応する旨、経営者に通知する(注意信号機能)。
5.内部統制の不備を起因として十分な証拠が得られない場合には、それを理由とする限定意見あるいは意見不表明の類型を監査報告に加える(警告信号ないし赤信号機能)。
6.仮に3を原因とする問題があっても、(監査人が適切な実証テストを実施している限りにおいて)監査人としての責任は問われず、経営者の不作為責任を問う(但し、1で公表し対応を進めている限りは経営者も責任は軽減される。)。
7.経営者のかかわる不正は内部統制とは次元の異なる問題なのでここでは対象外。

平たく言えば、昨今失われてきつつあるといわれる監査人の指導的機能を回復し、経営者に対応するきっかけとアイデアと機会を与えて、お互いの立場で「よい統制」の構築を図って、健全な企業活動をもたらしましょうという考え方です。

監査人にとってのインセンティブは、監査上の気付きを経営者にきちんと報告し対処を求めている限りは責任は問われないという点です。これは逆に「つまらない指摘」を増やすという可能性もありますが、一方で経営者にもそれを取り上げるかどうかの検討余地が残されるわけです。すべての問題は「つまらないこと」から始まりますので、ことの軽重よりも監査人と経営者とが事実を共有することに主たる意図を置くべきでしょう。

経営者側に立ってみると、本来問われるべき責任は監査人が指摘しようがしまいが経営者として問われるわけですから、監査人が気がつく程度の問題点を早めに対処することができるというメリットは大きいはずです。
また、対応の優先付け(対応しないことも含め)について経営者の自由度が残されることと、少なくとも誠実に対処している限りにおいては、不作為の責任だけは問われないことになります。

この議論には、監査人にそれなりの能力が求められることと、経営者があくまでも誠実であるという前提がありますので、経営者レベルの会計不正には不向きかも知れません、現行の監査制度においても前提条件であることは間違いありません。太陽政策とは自らの意思でコートを脱ぐ判断ができる旅人を前提としている以上、「善意の」監査人と経営者にとって都合のよい制度であるべきです。

悪を懲らしめる制度設計は、風でも太陽でもなく、雷が必要なのではないでしょうか。これについては別の機会に論じてみます。

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