心証形成と知的好奇心

2012年5月27日 | By 縄田 直治 | Filed in: リスクの分析と評価, 監査と監査人, 監査手続.

ここに来るのは久し振りである。もともと自分の頭を整理したり考えていることをそのまま書いて頭の混沌状態を解放することが目的で始めたところなので、日頃考えていることが少なくなったのだろうか。いや、あまりに雑事に追われじっくりとものを考えることをしなくなったということもあろうが、所詮、言い訳に過ぎない。

そのような中で、ここ最近ずっと気になっていることがある。話が通じない若い人の割合が増えているのは、昔からいう世代間の経験ギャップだけが理由なのか、自分だけがただ一方的に思考力が衰えているのか、それとも「若い人」が私の思う若い人とは違うのか。とにかく、話が通じないこと以上に、話が相手に響いてないというか、表情が乏しくエネルギーがないなという感覚が拭えないのである。

公認会計士の監査業務で最も重要なことは、リスクに応じた監査手続を設計して手続をとり合理的な水準までリスクを軽減することである。

リスクとは虚偽表示の起こる可能性であり、監査人が不知ないし未見の領域が広ければ広いほどその可能性は高まるが、他方、不知・未見領域とリスクとの関係は比例的ではなく幾何級数的であるため、いかにリスク軽減度合い(効果)の高い手続を取捨選択するかが、限られたリソースを限られた監査時間に投入するには肝要である。

何がリスクでどういう手続がより効果的であるかを考えることは監査業務の本質部分であり、ここをいかに定型化しようにもできるものではない。なぜなら監査の対象としている会計は企業活動を数値で表現する技術であるから、企業活動自体が生きものである以上、会計もすべての事象を想定して制度対応があるわけでもない。まして、企業活動と会計とがもたらすリスクの共通項を炙り出すことは可能であったとしても、さらに、それに対応した手続を定型化できたとしても、十分にリスクが軽減できるわけではない。不正は監査の「裏をかく」形で人間の意思によって起こされるからである。

監査において十分にリスクが軽減できたかどうかということは、偏に職業専門家の判断事項であるから、これを心証形成という言葉で表現している。心証とは監査人の科学的知見と社会的良識と自己の良心の反映でもあるから、これをすれば心証を形成できるという基準はどこにもない。駆け出しの監査人が最も悩むところは「どのような手続を踏めば心証を形成できるのか」という疑問であり、当初は手続の形から入っていき、レビュを通じて先輩の指導を受けながら、しばらくして行くうちにその手続の意味合いが「じわっと」わかってくるという理解の過程を経る。

最も注意しなければならないことは、とある手続を踏めば十分な証拠が得られ心証形成が可能と盲信することである。現金実査をして現金有高が確認できたという事実(証拠)をもって、現金の実在性という心証が必ずしも形成されるわけではない。そこにあった現金が必ずその会社のものであるという心証は、それだけの現金がそこにある経緯や日常的な管理の方法などによって補完されていくものであり、日頃の組織の活動を理解しておかなければ心証形成(つまりリスクの払拭)はできないのである。

では、どうすれば会社の理解が進むのか。これは最も大事なことだが、監査手続やマニュアルにはどこにも書いていない。勤め人は健康に留意しなければならないといった当たり前のことは、あえて記述されないのである。答えは、好奇心をもって会社や世の中の仕組みや動きを見ることである。なぜそうなるのだろう、なぜそうでなければならないのかという疑問、つまり知的好奇心を持つことは年齢を問わず人間がよりよく生きようとする原点のようなものだろう。ものがどうやって作られるかを知ることは原価計算の理解では必須である。決算数字を作るシステムが何を管理してどういうデータをどういう過程で作っているかを知ることは、決算と企業活動のパラメータとの関係の理解に役立つ。取引先を知ることで、会社同士の依存関係が分かる。

知的好奇心の弱い人は監査には不向きとも言えるが、知的好奇心で人の知恵を借りて自己鍛錬をすることは若い時代の特権である。しかし冒頭のように、何故か生命体としてのエネルギーが感じられない人が増えている。さて、そういった内発的なエネルギーを燃やすためにはどうしたらよいかは、自分には答えがない。そもそもそういうことを考えねばならなくなってしまっていること自体が、監査を取り巻く環境が怪しくなっているようにも思え、頭の中で鶏卵議論を繰り返している。

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2 comments on “心証形成と知的好奇心

  1. より:

    久しぶりに書き込ませて頂きます。

    現在、会計監査におけるIT理解の重要性に関する研修資料(CPA向け)を作成しているのですが、出だしを悩んだ結果、「真実性の原則」から企業実態理解の重要性・IT理解の重要性を述べる形にしました。
    作成してみて、うちの会社の研修資料で「真実性の原則」に言及したものがないことに若干驚きを覚えつつ、初心に戻る重要性をかみしめている次第です。

    ただ、いくら資料作成を頑張っても反応の弱い人たちにはどうにも響きませんよね。悩ましいです。

  2. 縄田 直治 より:

    紫さん
    コメントありがとうございました。

    制度や規則には全てにおいて「こういう世の中がよい世の中だ」という考え方(理念)と「だからこういう決まり事を作ってよい世の中にしていきましょう」という目的とがありまして、日本の会計は長年に亘って企業会計原則がそれを担ってきました。

    しかしIFRSやIASを持ち出すまでもなく、最近の会計基準や監査基準は基本的に翻訳であり難しい哲学書のようになっています。哲学は本来は物事の考え方の本質に迫ろうとするものですが、単に解読や解釈が哲学と勘違いされている向きもあり、会計・監査も同じような様相を呈してものの本質に迫らずに解釈に偏っていることには、このままでいいのだろうかと思うことが多いですね。

    監査人が真実に迫りたいという探究心がなければ、監査は成立しませんね。なぜなら、事実を会計が表現するからこそ会計が適正と言えるのであって、いくらルールに則しているからといってもそのルールの適用が誤っている(つまりルールが想定している事実がずれている)場合には、適正な会計処理とはならないからです。本来そこは監査人固有の判断であり、その判断ができるからこそ監査人がProfessional(神の代言者)と言われるわけで、実態を掴み方からが監査人固有のものの見方というものを反映したものになるはずですよね。当然、そこには正しい見方というものはないわけで、世の中の賛同を得るものでなければならないのです。しかしprofessionalと呼ばれるためには世の中に媚びているだけではなく先導することも必要なのでしょう。少なくとも発信することは最低条件として必要ですね。

    そういう議論をする人すら少なくなっているのは、業界がおかしくなっているのかあるいは違う形で機能しようとしているのか、私には分かりませんが、たぶん両方の要素を持ちつつ変化しているのでしょう。

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