WICI Symposium 2011

2011年12月4日 | By 縄田 直治 | Filed in: 統合報告<IR>.

知的資産WEEKと題して色々な行事がとりおこなわれたようだが、最近はこの知的資産という言葉があまり使われなくなってきた。
他のBUZZ WORDと同じく単なるブームだったのか、それとも他の新しい概念が出てきたのかわからないが、日本にいる限りこの研究は続けなければならないと前々から考えているところだが、多忙にかこつけて何もしていない自分が恥ずかしい。

今回は、2011年12月1日に早稲田大学小野研究講堂で開かれたが、前日のXBRL Conferenceとの連続ものとしてとらえてもよい。

議論の中心はIIRCが12月14日までを締め切りとする公開草案として出している、Integrated Reporting(略すときにはIRとなるが、Investors Relationsと区別するために、<IR>と記述することになっているようだ。)の内容を巡っての議論が多かった。特に最近の社会事情を反映してか、コーポレートガバナンスに関する議論が多かった。

小粒だが光っていたのが、WICI Taxonomyを使ってIntegrated Reportingを実際に作成するとどうなるかを研究発表であった。概念もある、ツールもある、しかし事例がないという問題に着目し、では自分で作ってみようという前向きな姿勢は、聴衆に響いたであろう。さらには、「皆が手を動かしてつくってみて議論しないといいものができないよ」という聞けばごく当たり前と思われる提言も、実は<IR>の本質を問うている。

なぜなら、<IR>は既存の法的枠組みではなく、企業の新しいガバナンススタイルを問うものだからだ。言わずもがな、企業活動を監視する仕組みは、開示制度に負うところが大きい。しかし実際のところ、法的枠組みでは、会社法の開示制度、金商法の開示制度は著しく財務情報に偏りがある。また、例えば商品については食品添加物などの成分が食品衛生法で定められているなど、最近では環境報告書における環境保全活動や二酸化炭素排出量報告など、部分的断片的な情報しかない。

そういった企業の実態を知ってもらうために、経営サイドから主体的に情報を出していこう、さらにそれは企業の存在意義や経営戦略によって「経営者の視点」から統合して理解してもらうための情報にしようというのが、<IR>の意図であろうと考えている。

実務家は、これ以上情報は増やさないでくれと嘆く。あるいは、何か雛形がなければどうやっていいのか分からないという。もっともな意見だが、悲しいことにこの意見には経営者の存在感がない。

<IR>は開示範囲の拡大を意図したものではない。たしかに新たな開示項目はあるかもしれないが、それは経営が必要と考えてのものである。あくまで開示は主体的な行為なのである。したがって、雛形はまさに経営がいろいろな企業実態の側面をIntegrateする方法が雛形なのであり、それこそ各社独自でなければならない。つまり、開示の拡大ではなく経営者による開示への主体的かかわりなのだ。しかし、それでは各企業がまちまちに開示することになるので比較可能性が・・・という議論が出てくる。

比較できないものを比較しようとしていないかは改めて考える必要がある。例えば戦略だ。トヨタの戦略とホンダの戦略は大きく異なる。その比較は両社の理解において感じられる違いに意味があるが、そもそも戦略は比較するものなのか。

財務情報は比較可能性をその適正性の根拠の一つとする。したがって初めから比較することを前提に作成されるので、比較する意味がある。しかし、A社は1億円の金を持っているが、B社は3億円の借金があるということを比較しても何の意味もない。むしろ各社がおかれた状況において、現在の財政状態がどのように将来のキャッシュフローを生み出すのかという観点で比較する要素となるからこそ意味を持つのである。比較作業が大変になるが、そこで貢献するのがXBRLを用いたWICI Taxonomyである。Taxonomyは要素還元したものに過ぎないのだが、要素は各社共通に作ろうとするのがTaxonomyである。

経営者が統合報告を開示する、利用者がそれを要素に還元して他の情報(例えば過去の経営者の同様な情報、他社の動向など)と比較する、改めて違いを認識しそれが「統合される」ことによってどのような違いを生みださんとしているかという、動的な思考を助けるための報告(いやコミュニケーションというべきであろうか)概念が、<IR>なのである。

欧州の金融危機の影響で企業アナリストの数が激減しているらしい。従来はアナリストとの会話の中でヒントを得ていた経営者、そしてアナリストによって会社をアピールしてもらっていた経営者も、自らの企業を分析してアピールしなければならなくなってきている。それに対するソリューションが<IR>である。

統合報告に限らずあらゆる報告には、報告内容への信頼性という問題が付きまとう。統合報告の中の財務報告は会計監査制度により担保されることになるが、統合報告自体を監査の対象とすることは無理がある。なぜなら、経営者の考えは経営者にしか分からないからである。それを保証できるとする人がいれば、それは詐欺だろう。信頼というものは時間をかけて培われるものである。つまり、経営者によるある報告が正しい(この言い方すら正しいのかどうか疑問だが)かどうか、いまこういう将来を目指して経営しているというメッセージが正しいかどうかは、時間が経過してからでないと分からない。しかし、時間が証明してくれるとなれば経営者は誠実に対応せざるを得なくなる。統合報告の枠組みは経営者と社会との信頼関係の構築を法の枠組みを超えて実現しようという壮大な構想であるから、法により対応する必要は最小限にとどめるべきだ。統合報告の要素として財務情報を保証するのが会計監査制度であると考えれば、分かりやすいだろう。

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