ガバナンス時代の終焉

2015年12月31日 | By 縄田 直治 | Filed in: ガバナンス, 不正.

2015年が終わろうとしているが、この一年は色々な不祥事が相次いだ。
杭打ちのデータ偽装や、国立競技場の不透明な入札価格、東芝などの会計不正。
大小合わせて分野も内容も多種多様だ。
不祥事はないに越したことはない、とはいえ、犯罪や交通事故と同様にゼロまでに減ることはないだろう。

こういうものは一定の小規模のものが一定率で発生して(抑えて)いる状況が総合的には望ましいのだ。もちろん、社会に重大な影響を及ぼす事故や身体に損傷を与えるようなことが起こってはならないが、未然に防ぐ努力だけではなく、事後的に対処できる手段も用意しておき、最終的な影響が最小化すればよい。

あらゆる企業行動はすべてにおいてコストがかかるが、安全を理由にコストを際限なくかけるのは組織が成り立たないし、そもそも安全を目的としていてもコストをかける前提としての方法論が最適なものであるかどうかは、別に議論が必要だ。収穫逓減法則がここでも成り立つとすれば、ある閾値を境にいくらコストをかけてもそのベネフィットは上がり難くなっている可能性がある。

21世紀に入って、内部統制、コンプライアンス、ガバナンスが議論されていないときはなくなった。企業や行政がそこに割くリソースも計り知れないが、その割りに画期的といえるような方法論は出てきていない。当初はじまった内部統制制度はそもそも制度化になじまないものを制度にしてしまい、企業に大きなコストを強いている。内部統制それ自体は企業経営における根幹をなすものの一つだが、それを制度とすると、スカートの長さや帽子の被り方まで決めた「校則」のようにそれを満たすこと自体に本気になり、そのコミュニティ中にいないものからすると、それを遵守することに一体何の意味があるのかと思えるようなことがある。実効ありますかという議論よりも規則に違反していませんかという視点が重視されること自体に着目すれば奇異としか言いようがない。

内部統制が期待したほど効果を奏さないことが分かったら、その制度は温存したまま、今度は監査機能の強化とか社外取締役の導入とか、外からの目を制度として導入しようという議論が活発だ。これも官庁主導である。企業側からベストプラクティスが出てくるわけでもなく、積極的に議論しましょうという話も聞かれない。その方法自体の是非を問いたい。

今、盛んに議論されているのが、企業ガバナンスの脆弱性にかかる問題である。企業や組織はその統治機構によって行動を統制しているのであるから、その統制の設計・運用の責任者である組織の長が想定どおりの責任を果たさねばならず、監視機構もきちんと機能しなさいという論理だ。所有と経営の分離を前提として株主ガバナンスが効いていないところで、企業をどう統治するかという議論をするよりも、株主ガバナンスを効かせる方法を考えればよいのだが。

もっと単純に考えれば、いまの企業規模が大きすぎるのである。トップが考えていることが末端に届くまでにいったいどれだけの時間がかかり、さらに末端のしていることがトップに結果としてもたらされるまでに、さらにどれだけ時間がかかっているのか、特定の施策をサンプルにとって計測して見るとよい。

恐竜は、外部環境の変化についていけずに自滅したとされているが、特に脳の命令が末端に届くまでに分単位の時間を要したという話を聞いたことがある。単なるアナロジーかもしれないが、いま大企業で起こっていることはこういうことなのではないか。ガバナンスの強化とはまさに恐竜の神経伝達機構の強化ということなのだが、大きくなってしまったものはその形を維持するだけで精一杯でとても体質を改善するエネルギーは生み出せないだろう。恐竜にできなくて企業にできることは、小さくなることである。

20世紀までは大きくなることはいいことだという考えがあったことは否めない。これはビジネスを決めるものが色々な意味で物理的制約であったためで、それを克服するために規模が必要であった。しかし、アトムからビットの時代になると、物理的規模は必要なく、むしろ物理的規模から発生する膨大な情報量に圧倒されて、恐竜の小さな脳では体中から発せられるいろいろな信号を処理できなくなってしまう。株式会社制度は、まさに大きいことはいいことだという前提の下に、巨大資本を集めるために不特定多数から資金を集めるための制度であるから、アトムの時代の制度であってビットの時代にはそぐわない。巨大なアトムは、ビットの世界から見ればエントロピーが高すぎるのである。

これからは、規模をガバナンスで維持する時代ではなく、個々に自律している小さな個が寄り集まって共調(共振調和)する時代になっている。国よりも地域の時代、ベンチャービジネス、ローカルビジネス、NPO、クラウドファンディング、クラウドコンピューティングなど、いずれもアトムとしてより小さくして制約を少なくし、ビットとしてのつながりを大きくするという志向を持っている。

チャーチルだったか「民主主義はひどい制度であるが、他のどの制度よりも優れている」という言葉があった。いまの上場会社制度は20世紀型の制度であり、その便益は計り知れないものがあるが、とはいえ他にも有効な制度はいくらでも設計できるはずである。
むしろ、行き詰っている時代こそ、新しいあり方を模索推奨することが、必要なのではないだろうか。今後はMBOを前提として企業グループから外れるビジネスがたくさん出てくるのではないだろうか。

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