10月9日にお茶の水ソラシティで開催された、公認不正検査士協会の会合に行ってきました。
一昨年はオリンパス事件の「外人社長」だったMichael Woodfordがゲストでスピーチ。
昨年は、FCPAなどやや法律よりの話だったので面白くなかったが、今回は「会計不正 再び」というタイトルで、東芝事件よりも前に企画されていたらしい。
特別ゲストに、あのエンロン事件のCFOだったAndrew Fastowが招待されていたが、2週間前になって入国ビザが下りないことが分かり、急遽、Vise PresidentだったSheron Watkinsがゲストとなった。しかしFastowのスピーチはビデオで上映され、編集されているためもあろうが大変興味を引いた。
監査をする立場としては、CFOという立場がどのような意識で仕事をして監査人と話をしているかという点に興味をそそられる。彼個人が「倫理的」であったかどうかは、所詮他者の事後評価に過ぎない。
Rules VS. Principlesという演題のビデオ公園は、「私自身、罪を犯した」というところから始まり、エンロンから表彰された際に贈呈されたトロフィと、刑務所で使用していたIDカードとを見せながら、同じ仕事をやっていながら、二つのまったく違った評価がされることをユーモアと皮肉たっぷりに話が始まる。
記憶での要旨は以下のとおり。
CFOという立場であっても会社の業績を上げることに貢献しなければならないが、ビジネス部門を持っていない。
そこで考えたのが、会計の見積もり(accounting estimate)と仕組みファイナンス(structured finance)だった。
会計ルールの曖昧さは、opportunityと考えた。
正しい会計correctか許されたallowed処理かの価値観の間では、意識は必然的に「許された」方に行く。
いったん許されると、次にそれを活用しようtake advantage ofとする。
さらに行き過ぎて、濫用abuseしてしまう。
正当化の理屈として、取締役会も、内部監査人も、外部監査人も顧問弁護士も処理を認めた。
ミスリードはしたが違法ではない。
破綻直前の10k財務諸表を見たとき(2001年1月頃)に、「これはエンロンの姿を現していない」と感じて、監査人を呼んで議論したが、「一つ一つは認められた処理なので、その結果です」という答えが返ってきた。
Fastowの話は自己弁護とも受け止められるし、彼自身が倫理観を失っていたとも受け止められる。批判することは簡単だ。
しかし、人間個人に責めを負わせるのはけじめをつけるための法律的な手段であって、本来の不正の原因の究明と再発防止にはならない。あえてFastowは自分の「悪」に何度も触れながら話をし、エンロン事件におけるCFOという立場にあった者がどういう環境に置かれて、どのように不正に染まっていったかを話すことで、CFOという立場がどのような心理状態になっているのかということを当事者としての発言から読み取らねばならない。
そこをあえて公衆に話そうとするところに彼の「誠意」があるのではないか。いや、むしろそれを活かさなければ彼の本心が何であれ、監査や不正を専門とする職業人の敗北だろう。
午前中は、不正対応で活躍されている各Firmの方々が、事例発表をされていた。CAATがようやく広まってきたことを実感した。
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