Data & Analyticsの議論に欠けているもの

2015年4月12日 | By 縄田 直治 | Filed in: 人材育成, 監査と監査人.

AI(人工知能)とかデータ分析の技術の発展により、経理や法務という業務はコンピュータにとってかわられる候補に挙がっているらしい。

8 Skilled Jobs That May Soon Be Replaced By Robots
http://www.makeuseof.com/tag/8-skilled-jobs-may-soon-replaced-robots/

経理に身を置くものとしては看過しえない議論だが、機械が勝手に進化するはずもないので、世の中にこういった職業を無用にする動き、言い換えれば機械で置き換えることが可能と考えて努力する人たちがいるということだろう。専門的かつ保守的な集団に外部の英知が入ってくることは、大いに歓迎したい。

監査の世界でも、1980年代から言われていたCAATに最近流行のデータ分析手法を加味したData & Analyticsという考え方が注目され始めている。

監査は、データの世界に着目すれば、過去からのトレンドや業界の動き、あるいは事業計画の達成状況などを基礎として外れ値を探し出すところから始まる。それらの外れ値が誤謬ないしは不正でないことを確認して、監査意見を表明するのだが、その辺がどのように機械化されるかには興味がある。

一方で、これにより多くの監査人が「失業」するというのは、一面としては同意するものの、本筋ではやや異見があるところだ。
なぜなら、一定のアルゴリズムで検出された外れ値は必ずしも異常値ではない。つまりそこには不正・誤謬であるかないかの判断が伴うものである。機械が正しく機能しているかどうかは人間の判断による。また、機械が検出しないところに虚偽表示のネタは眠っていないかや、あるいはそもそも機械では検出が無理なもの、さらにはアルゴリズムの進化や機械の感度調整をどのように図るかという議論は、もともと産業機械の世界でも古くからある話であり、いまだ人間のスキルが要求されるところである。

機械化の歴史は人の手作業の置き換えという形で捉えられることが多いが、その見方は表層的である。むしろ、人の手ではできないことを人が操ることで、より高度なことができるようになるという点を見逃してはならない。つまりは、機械化が高度になるほど必ず機械の高度な操作をする人が必要なのであって、産業機械のパラメータの調整だけではなく、医療の世界の内視鏡手術とかMRI映像の読み取りとか、工事現場での重機の操縦など、機械の恩恵により高度な手業が可能になっているというところに着目すべきだろう。

すなわち、Data & Analyticsの発達はアルゴリズムの発達だけではなくそれを使いこなす監査人側の高度化が要求されるので、確かに旧来型の監査人は失業するかもしれないが、かえって特定のスキルを擁する監査人への要求は高度化するのではないだろうか。まして監査の本質は監査人の懐疑心である。懐疑心とは証拠を合理的に疑うことであるが、別の側面として監査人自身のいろいろな判断を内省するという側面もある。
www2.deloitte.com/content/dam/…/jp-atc-kaikeijyoho_201404_01.pdf

アルゴリズムの有効性を別のアルゴリズムで評価するということが可能でない限り、機械が判断していると見えているのは単なる論理式による判別なのであって、判断ではない。まして機械が判断してくれているから問題ないという考えを監査人が持つなど監査行為そのものの放棄に等しい。色々なアルゴリズムが研究されて、監査人の懐疑心の発揮を強力にサポートしてくれるようになってくれるためには、懐疑心を支える洞察力の醸成という人間的側面と並行して議論していく必要性を忘れてはならないだろう。

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